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山の辺の地蔵☆CIDP
2003年12月、『CIDP』発症難病指定。現在はCOPD自宅療養中
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一昨日の午前11時20分過ぎ雷鳴と豪雨6〜7分余りで上がり庭を見ると真っ白に雹か?

午前11時20分過ぎ雷鳴と豪雨短時間で雨雲は通り過ぎた。

余り雨音が大きかったので家の玄関前を見てびっくり!

庭は真っ白に何時もの様にただの通り雨と思っていたので

家の前の道路は坂道なので雨が上がっても道一面に水水・・・

庭にはアラレより大きく直径1cm余り直ぐにカメラで撮影した。

 

そして動画ならテレビ局へなのだが写真なので我が家は読売新聞

ので奈良支局へ電話し『奈良市は如何ですかと尋ねた、私天理市

なのですが先程此方は雷鳴と短時間豪雨で1cm余りの雹が降り

写真に撮りましたので連絡まで』と話すと『もし宜しければメールで

写真送って下さい』との事で4枚の写真をメールで送付しました。

 

午後2時過ぎに記者の女性から電話あり『もし事故や事件が無くて

明日の朝刊に枠が有ればとの事で住所・氏名・年齢とその時の

状況を尋ねられました』私は30年程前には俳句の投稿をして数度

掲載されていました、私の実父(10年前に死亡)は毎週投稿し掲載

          も毎回の様でした。

 

  

 

 

P1050440 (2)


 

 

 

 

我が家の『山茶花』

 

 

 

💛 ご訪問・いいね!・コメント有難うございます。💛

 

いいね!・コメント出来ない方ごめんなさいね

 

 

🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀

 


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テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

☆ 天皇陛下即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」 2019-11-10・3:00〜3:30

菊の紋章


 

令和の列島に笑顔! 天皇陛下、

太陽も祝福3カ月ぶり雨のない日曜日

 

 天皇陛下の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」が10日、皇居から赤坂御所までの約4・6キロで行われた。天皇、皇后両陛下はオープンカーに乗り、沿道に詰め掛けた約11万9000人(内閣府)の祝福に応えられた。両陛下のパレードは1993年6月の結婚以来。令和の時代を象徴するかのように無数のスマートフォンが沿道を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

  お見送りの秋篠宮両殿下     皇后さま「感激の涙」


 写真は私の部屋の24インチTVの外付け小型ハードディスクの

映像を小型カメラで撮った写真です。    

 

子供や孫達が幸せに暮らせる令和の時代を築て下さいね。

               

           

 

🙇 気まぐれ投稿ですが今後とも宜しくお願い致します。🙇

🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀

 


☆鈴木愛☆2週連続優勝・米ツアー初V『TOTOジャパンクラッシック』●アメブロより1〜2日遅れ投稿。

瀬田ゴルフ場

日本で開催される唯一の米国女子ツアー

「TOTOジャパンクラシック」

TOTOジャパンクラシック 最終日◇11/8〜10日◇

瀬田ゴルフコース 北コース(滋賀県)◇6659ヤード・パー72

鈴木愛 米ツアー初V「本当に夢みたい」

ツアー史上3人目の2週連続完全Vで今季6勝目

 鈴木愛が米ツアー初制覇&10年ぶり日本勢年間6勝! 

米参戦には慎重な姿勢「今日一日ゆっくり考えたい」


愛ちゃん5


鈴木愛が5バーディ・ノーボギーの「67」で回り、2位に3打差を

つけて完勝劇で米ツアー初勝利を挙げた。           愛ちゃん4

最後まで安定していた。3打差をつけてスタートすると前半から3連続を含む4バーディを奪い逃げ切り体勢。サンデーバックナインではパーが並ぶ展開が続いたが、最終18番で3打目を1.5mにつけてバーディ締め。右手を何度も挙げて日本勢では2009年の横峯さくら、諸見里しのぶ以来 となる年間6勝を喜んだ。

愛ちゃん6

「本当にこの大会で優勝できると思っていなかった。夢みたいでとてもうれしいです」と破顔した鈴木。「自分が5、6アンダー出せば勝てると思っていました。ケガから復帰したばかりとは思えない。3週前に復帰て、連勝は、はちゃめちゃな感じ。私らしいですね」笑顔がはじけた。

愛ちゃん2   これで念願の米ツアーへの切符を手にしたが「勝てると思っていなかったので(笑)海外で戦いたいという気持ちもある。米国でやるか日本でやるか、今日一日ゆっくり考えたい。帰りの飛行機でゆっくり考えます」と慎重な姿勢。合わせて賞金女王、東京五輪代表も見えてきた。「どれくらい差が詰まるかは分かりませんが、ちょっとだけ女王になれる可能性が増えたと思います。東京五輪も出られたらいいですが、プレッシャーになるのであまり考えずに。とりあえず今週の結果でどのくらい上がるのかを見て、今シーズン終わるまでに20位以内に入れたらいいなと思っているのでそこを目指して頑張ります」と話した。愛ちゃん

気まぐれ投稿ですが

 今後とも宜しくお願い致します。  

🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀


鈴木愛、今季5勝目!賞金トップ申1打差振り切った。 

Welcome


朝晩気温も20℃切る様になり体調不良にてごめんなさい🙇

2週間のご無沙汰致しておりました。

この投稿も2日遅れでごめんなさいね🙇 


女子ゴルフ樋口久子・三菱電機レディース最終日

                 (3日、武蔵丘GC=パー72)


鈴木愛-1


💛 私の一押し女子プロゴルフ選手 💛

鈴木愛、今季5勝目!賞金トップ申1打差振り切った 

逆転賞金王へ3000万円差

鈴木愛-2


 単独首位から出た鈴木愛(25)=セールスフォース=が5バーディー、1ボギーの68で回り、通算14アンダーで逃げ切った。今季5勝目で通算14勝目。最終ホールまで激しい優勝争いを繰り広げた申ジエが、1打差の通算13アンダーで2位。今季2勝目を目指した小祝さくらは、通算12アンダーで3位にとどまった。

 

鈴木愛-3

 激しい優勝争いだった。5番では申に5打差も後半インで猛追を受けた。15番で1・5メートルのパーパットを外すと、申がバーディー。この時点で差はわずか1打に縮まった。勝負を分けたのは16番。両者バーディーだったが、先に3メートルのバーディーパットを沈めて1打差を守り抜いた。

 1メートルのウイニングパットを沈め、鈴木はほっとしたように空を仰いだ。「あのパーパットは今日一番しびれた。心臓が飛び出るってこういうことなんだなと思いました」。厳しかった表情がようやく緩んだ。

  鈴木愛-4

申ジエ選手との一騎打ち

 「あそこが勝負どころだった。先に入れられたので、アドバンテージを取れました」 価値ある優勝だった。左手首、左手親指の痛みで9月のミヤギテレビから4週間欠場。この間は気持ちの上でも大きな問題に直面した。「けがもあるし、いくら練習してもうまくならないので、ゴルフが本当に嫌になった」。ある意味でゴルフ人生の危機だった。

気持ちが復帰へ傾いたのは、都内で同居していた母と弟に徳島県の実家に一時的に帰ってもらい、独り暮らしを経験したことが大きい。「洗濯や料理をする生活がこんなに楽しいのかと思った。そうするうちにゴルフもちょっとやりたくなった」と明かした。


   鈴木愛-5  

 

先週のマスターズGCレディース出場したのだが怪我が治りきって居らず途中棄権の為、3,600万円の賞金獲れず残念でした。
 今季の目標は2年ぶり2回目の賞金女王。この優勝で1位の申に約3000万円差となった。今季残り4試合での逆転は簡単ではないが「ちょっとチャンスができた。残り試合でどれだけ優勝争いできるかがポイントですね」。取り戻した自信を携え再び歩みを進める。

記事はデイリースポーツ転載

     ありがとう  


気まぐれ投稿ですが今後とも宜しくね。

🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀



テーマ:女子ゴルフ - ジャンル:スポーツ

即 位 礼 正 殿 の 儀  令和元年10月22日(火)雨


   殿


即位礼正殿の儀

天皇陛下おことば全文


 さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を

継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣

明いたします。

 上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の

平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心

(みこころ)を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く

思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
 国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。


             




「即位礼正殿の儀における内閣総理大臣の寿詞」
謹んで申し上げます。
天皇陛下におかれましては、本日ここにめでたく「即位礼正殿の儀」を挙行され、即位を内外に宣明されました。一同こぞって心からお慶び申し上げます。
ただいま、天皇陛下から、上皇陛下の歩みに深く思いを致され、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、日本国憲法にのっとり、象徴としての責務を果たされるとのお考えと、我が国が一層発展し、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを願われるお気持ちを伺い、深く感銘を受けるとともに、敬愛の念を今一度新たにいたしました。
私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていくため、最善の努力を尽くしてまいります。
ここに、令和の代の平安と天皇陛下の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉といたします。
令和元年十月二十二日 内閣総理大臣 安倍晋三





季節の変わり目いつもの通り体調不良にて

投稿・訪問・コメントご無沙汰致しておりまして

申し訳御座いません、ごめんなさいね🙇


🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀


吉永小百合-主演・天海祐希-共演の『最高の人生の見つけ方』 劇場公開日 2019年10月11日

私は吉永小百合さんとは同学年で

私は10ヶ月早く生まれて居りました。

心の恋人


吉永小百合さんの生年月日は・・・1945年3月13日 (74才)


1957年(昭和32年) 6年生の時、ラジオの連続ドラマ赤胴鈴之助を聞き、10月、からのテレビドラマ赤胴鈴之助に観いいって居ました。

1959年(昭和34年)のデビュー作は見られませんでした。(昭和31年母が他界した為父が農業が出来なくなり田畑を売り兄弟姉妹の生活費は保険の外交員をして何とか中学を卒業させてくれました。)


昭和35年に大阪へ出て色んな仕事をしながら、翌年の3月に大阪の定時制高校の2.5倍を試験勉強せずに姉の勧めで入学し住み込みで新聞配達をして人の倍の配達や勧誘に歩き時たまには、映画も観に行けるようになりました。


   


    


1962年(昭和37年) - 高校時代に 『キューポラのある街

を大阪南の千日前の日活映画館へ吉永小百合さんを観に行きその時代の『サユりスト』になってしまいいいました。


青い山脈(1963)    いつでも夢を(1963) 泥だらけの純情(1963)

伊豆の踊子(1963)    波浮の港 (1963)      潮騒(1964)

愛と死をみつめて(1964)   うず潮(1964)    若草物語(1964)

風車のある街 (1966 )  青春の海(1967)     その他多数


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観たら人生が楽しくなるチェンジング・ムービー

2007年にジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマンの主演で公開され、世界中で大ヒットした同名ハリウッド映画を原案に、余命宣告を受けた2人の女性が、“生きる”ことを見つめ直す旅を描いたハートウォーミングストーリー『最高の人生の見つけ方』。あらゆる世代の心に響く感動作が、いよいよ劇場公開を迎えます。

人生のほとんどを家庭のために捧げて来た専業主婦の幸枝と、会社のためだけに生きて来た大金持ちの女社長・マ子。病院で余命宣告を受けた彼女たちは、主婦業と仕事以外に何もやりたいことのない自分たちの人生に、初めて虚しさを感じていた。

そんな2人がひょんなことから手にしたのが、入院中の少女が書いた「死ぬまでにやりたいことリスト」。幸枝とマ子は、このリストに書かれたことをすべて実行するために、残された時間を費やすことに。

これまでの人生では決して体験することがなかった出来事に出会うなかで、いままで気付くことのなかった生きる楽しさと幸せを噛み締めて行く2人。そして彼女たちの行動が、家族や周囲の者たちの人生さえも変えて行く…。


主演を務めるのは日本映画界の至宝、吉永小百合と天海祐希。スカイダイビングをする、ももクロのライブに行く、好きな人に告白する…。絶対にやらなかったことに挑戦することで、自らの殻を破るごとに輝きが増して行く2人に、観る者の心にもワクワクとした感情が湧き上がって来ます。

そして共演のムロツヨシ、満島ひかり、ももいろクローバーZ、賀来賢人、前川清らが、欠点だらけだけれど憎めないキャラクターを熱演。彼らひとりひとりが“最高の人生の見つけ方”を見出して行く様子からも、目が離せません。

“人生の終着点”がテーマとなった作品なので悲しい物語かと思いきや、ポジティブで生きるエネルギーにあふれた本作。幸枝とマ子の旅を通じて、あなたも“最高の人生”を見つけ出すことができるかも。


🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀



 吉野彰氏にノーベル化学賞 ☆ ☆ ☆ リチウムイオン電池開発、旭化成

 ノーベル化学賞・吉野彰氏

 

「まさかまさか、です」

「リチウムイオンは謎だらけ」  ノーベル化学賞・吉野彰氏の一問一答

 

 ノーベル化学賞の受賞が決まった旭化成名誉フェロー吉野彰氏(71)は9日夜、旭化成東京本社(東京都千代田区)で記者会見を開いた。主な一問一答は次の通り。

 --毎年候補に挙げられ、ついに受賞が決まった

 「化学賞のフィールドは非常に広く、なかなか順番が回ってこなかった。『もし順番が来たら絶対取りますよ』とは言っていたが、まさかまさか、です」

 
--
リチウムイオン電池は環境問題にどんな形で貢献できるか

 「電気を蓄えるのが一番の機能。一つは既に始まっているが、電気自動車の普及。単に車をクリーンにするだけでなく、巨大な蓄電システムが同時に実現することになり、太陽光や風力などの変動の激しい発電技術が普及しやすくなる」

 --リチウムイオン電池をどう展開させていくか

 「やはり技術改良が必要。リチウムイオンの本当の姿は、アカデミックな観点から謎だらけ。原点に戻っていろいろなことを知っていかないといけない。これまでと違う発想の新しい技術が出てくる可能性があり、わくわくしている」

 --子供たちにメッセージを

 「私自身もそうだったが、誰かにきっかけを与えられて将来の道を決めていく時期が来る。(自身の受賞を)自分の将来を決める一つのきっかけにしてもらえればいい」

 

 

 

 ノーベル化学賞に決まった吉野彰旭化成名誉フェローが9日夜、2015年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大宇宙線研究所長と電話で対談し「電池(の研究)をやるなら環境問題に対して答えを出していかなきゃいけないと思っている」と、責任を感じていることを打ち明けた。

 梶田氏が、
リチウムイオン電池開発から受賞決定まで「だいぶ時間はかかったと思うが」と話すと、吉野氏は「私は産業界の人間。基礎研究から始まり、それを世の中に出し、広まってということになる。やっぱり時間はかかる」と答えた。

 

 

 スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年のノーベル化学賞を、リチウムイオン電池を開発した旭化成名誉フェロー吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。小型で高性能の充電池として携帯型の電子機器を急速に普及させ、IT(情報技術)社会の発展に大きく貢献した功績が評価された

 

       

       

   

🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀


400勝投手、金田正一氏が死去。☆ 大坂なおみ・2大会連続V。 ☆ 畑岡奈紗がまたも快挙。


 400勝投手、金田正一氏が86歳で死去

  •  死因は急性胆管炎による敗血症 


     プロ野球の国鉄、巨人で通算400勝を挙げた金田正一氏が

    死去したことが6日、分かった。

    6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で亡くなった。86歳だった。巨人が発表した。

     金田氏は愛知県出身。享栄商高を中退し、1950年に国鉄(現ヤクルト)入り。8月入団ながら速球と縦に落ちるカーブを武器に8勝、打者としても17歳2カ月で史上最年少本塁打を記録した。51年から14年連続で20勝以上をマークし、球界を代表する大投手に。対巨人、対
    長嶋茂雄

    に闘志を燃やし、58年4月5日の開幕戦(後楽園)では、デビュー戦の長嶋から4打席連続三振を奪った。

     巨人移籍5年目、通算400勝を達成した69年に現役を引退した。前人未到の400勝、4490奪三振と298敗はともに史上最多。沢村賞には3度輝いた。背番号34は巨人の永久欠番になっている。

     引退後は73年から78年まで、90年と91年にロッテ監督を務め、74年にはリーグ優勝と日本一に導いた。88年に野球殿堂入り。

    カネやん」の愛称で親しまれ、ロッテ監督退任後は野球解説者、タレントとして活躍した。


    もうあの人懐っこい笑顔と毒舌が

    視聴出来ない寂しいね。

  •  巨人の発表によると通夜、告別式は近親者のみで行われ、喪主は長男・賢一さん。後日、お別れの会を行うという。

     

     

    大坂なおみ、強さ「証明」

    日本女子初2大会連続V

     

    大坂がツアー5勝目=世界1位のバーティ破る

     テニスの中国オープンは6日、北京で行われ、女子シングルス決勝で第4シードの大坂なおみ(日清食品)が世界ランキング1位のアシュリー・バーティ(オーストラリア)に3-6、6-3、6-2で逆転勝ちし、優勝した。大坂は1月の全豪オープン、9月東レ・パンパシフィック・オープンに続いて今季ツアー3勝目、通算5勝目。

     
    中国オープンは四大大会に次ぐ格付けの大会で、年間4戦開催されている大会の一つ。大坂は2018年3月に、この格付けの大会のBNPパリバ・オープンで優勝し、ツアー初勝利を挙げた。 

     

      

    畑岡奈紗がまたも快挙達成

    日本女子オープンゴルフ選手権 最終日

    COCOPA RESORT CLUB 白山ヴィレッジゴルフコース QUEENコース(三重県)◇

     

    2位に4打差をつけて2年ぶりの大会3勝。本大会3勝は史上3人目、また、史上最年少でのメジャー4勝を達成した。さらに、今季「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」の優勝と併せて同年での日本タイトル獲得は42年ぶりとなる。

    この日は3番からの連続ボギーが先に出たが、そこから立て直しての圧勝。「プレッシャーがあったのか、最初は自分のショットがコントロールできなくて苦しい展開でしたが、集中して最後まで回れました」と圧巻のプレーを披露した。

    同組で“直接対決”となった
    大里桃子や、全英女子オープン覇者の渋野日向子は1998年生まれの同級生。「たくさんの同級生に恵まれて、みんな切磋琢磨して頑張っているので私も負けないようにと思ってやっている」と健闘をたたえ合った。

   

    

ちなみに私の一押しの女子プロゴルファーは鈴木愛さんですが、今回の日本女子オープンゴルフ選手権は昨年の怪我が芳しくない為、欠場致しました現在今年の日本女子プロ賞金ランクは四位です、残念です。


快挙達成に笑顔を見せつつ、来年に迫った東京五輪についても意欲を見せる。「あっという間に来てしまうけど、しっかり準備して代表選手に選ばれるように頑張りたい」。現在オリンピックゴルフランキングは日本勢最上位の6位。世界のスポーツの祭典を前に、日の丸を背負って戦うべく改めて強さを見せつけた1週間となった。

 

        

🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀


10月1日昨日より消費税率、実質5段階=軽減・ポイント ?

 

              

🙇      🙇      🙇

昨日より 2% 消費税の

増税となりました。


誠に遺憾に存じます。

        

 

 

 

キャッシュレス決済時のポインキャッシュレス決済時のポイント還元の

%は何故だ!! %でよい

 


      

 

  TV画面を撮った写真ですので不明瞭な点はご勘弁を。

 

 

 

 10月の消費税増税では、酒類を除く飲食料品の税率を8%に据え置く「」とキャッシュレス決済による「ポイント還元」が導入される。何をどこで買うかによって、実際に負担する税率はおおむね3、5、6、8、10%と5段階に分かれる。は商品ごとの線引きが複雑で、ポイント還元も中小の小売店とコンビニでは還元率が異なるため、買い物客は混乱しそうだ。

【特集】消費税、10月から10%

 は外食には適用されない。コンビニで持ち帰り用に弁当を買うと8%だが、店内のイートインコーナーで食べると10%になる。は10月から9カ月間限定で、中小の小売店や飲食店でクレジットカードなどでキャッシュレス決済すると、支払額の最大5%が還元される仕組みだ。
例えば、中小の商店で野菜を買うと、消費税率は
が適用されるため8%になる。ここでキャッシュレスで支払うと、5%分のポイントが還元され、負担は3%で済む。
 ただ、実際の税率は3%ぴったりにはならず、消費者の負担はさらに少ない。中小店で税抜き1000円分の野菜を買うと、税込み価格は
が適用され1080円。キャッシュレス決済すると、総額の5%分のポイント(54円)が付与され、実質的な出費は1026円となる。負担するは2.6%だ。
 大手コンビニではキャッシュレス決済で2%分のポイントが還元される。セブン-イレブン・ジャパン、
の大手4社は、後日ポイントを付与する代わりに、2%相当分をその場で値引きする。一方、大手スーパーや百貨店は制度の対象外だ。
 経済ジャーナリストの荻原博子さんは、大手コンビニで買い物をすると、その場で2%分が値引きされるため、消費者はメリットを実感しやすいと指摘。流通業界で需要喚起を狙ったセールが企画されている点に着目し、「大手スーパーや百貨店ではセールを活用すると良い」と話している。

 

 

私の様な夫婦2人の年金生活では8%の消費税率でも私は最低で4週間に一度の通院して・家内も最低月一回2ヶ所の通院ですので、今迄でも病気入院時とバイト時や4年前よりCODPで借金生活の上で年金生活今、今後は消費税10%に成ったから死亡したら直葬で』でないとダメな状態です。

 

食べる事を節約して今は家内は安いスマホで、

私はPCでブログで皆さんの楽しい話やや綺麗

写真で日本一周を楽しみに生きています。

 

次 回 投 稿 ま で


投稿度に訪問・コメント有難うございます。


皆 様 今 後 と も 宜しくお願い致します。

 

🍀🍀🍀山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀

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本来ならば大和の社寺等を投稿したいですが、体調不良にてTVを視聴した日本・世界をの投稿です。

 

暑さも幾分か秋めいて参りましたね。

 

気まぐれブログ、ボチボチと投稿させて頂き皆様の方へも

ご訪問させて戴きますので宜しくお願い致します。

 

yahooが早々にナイスポチやコメントの送受信が出来なくなり此方へ引っ越し転載はせず、出戻りブログを開設させて戴きました。

 

ご訪問・いいね!・コメント有難うございます。

 

今日はNHKBSプレミアムの早朝の番組を

紹介いたします。

この番組表は月曜日から金曜日(連続テレビ小説は土曜迄)

土曜日は7:00 世界ふれあい街歩き

7:45〜8:15 ニッポンぶらり鉄道旅

 


今日始めての紹介なのでね、

7:45〜7:59 日本縦断 こころ旅 朝版 

(火野正平さんと四人の自転車)

    同じ朝版は11:45〜11:59に再放送有り。

 

この番組の拡大放送(30分版)が夜の19:00〜19:29

本番の 『にっぽん縦断 こころ旅 とうちゃこ』

         

お好みの時間に観てね。

 

を打った通り週五日間・今週明日まで富山県 ・ 来週は石川県 ・ 福井県 ・ 京都府 の順で月曜から金曜に、

順次放送されます。

 

上記のように番組の中投稿のこお手紙の当たった所へ火野正平さんと四人の自転車隊とスタッフ数人で思い出の場所へ言って戴ける楽しい番組ですよ、一度視聴されてない方は一度見て下さいね。

 

 


『なつぞら』は今週で終わりです。

 

 

また後日、『関口知宏さんのヨーロッパ鉄道旅』他は写真入りで

 

投稿いたしますので、今後とも宜しくお願い致します。

 

        

🍀🍀🍀 山の辺の地蔵☆🍀🍀🍀


巨人阿部が今季限りで現役引退、今後は指導者の道へ日 ☆ 今の巨人での阿部が一押しでした。

  

巨人阿部が今季限りで現役引退、


今後は指導者の道へ 9月23日


 


巨人阿部慎之助捕手(40)が今季限りでの現役引退を決断したことが23日、分かった。プロ19年目の今季は開幕から主に代打での出場を続け、チーム状態が下降した8月以降は「5番一塁」でスタメン機会が増加。

5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。通算2000安打、400号本塁打を達成し、球界史上屈指の「強打の捕手」として一時代を築いてきた。リーグ優勝8回の「背番号10」が惜しまれながらユニホームを脱ぐ。今後は次代の監督筆頭候補としての 指導者の道を歩むとみられる。


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過去から未来へ重い決断を下した。阿部が19年の現役生活に区切りをつけた。プロ入りから球界のど真ん中を歩んできた。堂々とレジェンドの仲間入りを果たした。リーグ優勝直前に弟分の坂本勇に対談の席で言った。「卒業。立派に旅立ったよ。俺の荷が下りたよ。これで気持ちよく辞められるよ(笑い)」。今季限りとは断定しなかったが、穏やかな口調だった。間髪入れずに続けた。「今以上に視野が広がっていく。いろんな物を見ていかなくちゃいけない。近い将来のことも。フロント、現場とかね。また1つの組織の一員として、成長すると思う」。未来への視線

力強かった。

決断は揺れた。もう1年か。今が引き時か。周囲の声を聞けば、聞いただけ揺れた。だが己の感情は正直だった。6月1日中日戦で生え抜きでは
王貞治長嶋茂雄以来の400号を史上最も遅い2211試合目で達成した。万感の歓声の中、東京ドームのダイヤモンドを周回。両手を広げる原監督の胸に飛び込んだ。「打った瞬間は『うれしい』だったよ。でも『これで終わっちゃうのか』って」。すぐにベンチ裏に下がった。涙が止まらなかった。人目を避けてトイレにこもった。お立ち台に向かう前に「目薬をさして。周りにばれないようにね」と、いつもの明るい阿部慎之助を演じた。

捕手復帰を決めた今季は耐え難い重圧に苦しんだ。沖縄キャンプ中はどん底だった。「人に会いたくない。他の選手に合わす顔がない」。宿舎の食事会場を避け、顔なじみの飲食店でひっそり過ごした。休養日は人が少ないへき地のビーチで太陽光を浴びた。リラックスできる場所は限られる。睡眠もままならない。輝かしい過去、今が、自分自身に重くのしかかった。

しかし、それらを吹き飛ばす威力があるから、第一線を張り続けてこられた。腹を決めて臨んだ、この日の
ヤクルト戦。6回に代打で出場し、8回1死から梅野の148キロを豪快に振り抜いた。1カ月ぶりの6号同点ソロは「風のおかげ」と強風が味方した。「リーグ優勝はうれしいけど、CSで日本シリーズで負けたら半減する」。阿部史上4度目の日本一へ-。最後の大仕事が残っている。

◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日、千葉県浦安市生まれ。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手で開幕戦に先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月、当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、リーグMVP、正力松太郎賞。17年に通算2000安打、今年6月には通算400本塁打を達成。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。180センチ、97キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸1億6000万円。



毎度ご訪問・コメント有難うございます。


気まぐれ投稿ですが今後とも宜しくお願い致します。


     


🍀🍀🍀山の辺の地蔵🍀🍀🍀


東レppoテニス2019 大阪大会  久々の優勝  故郷大阪でおめでとう !!

    19-3-19 img



なおみ-3

大坂なおみ三度目の正直で東レ初V、


日本勢24年ぶり快挙


伊達公子以来<女子テニス


東レ パン・パシフィック・オープン


女子テニスの東レ パン・パシフィック・オープン(日本/大阪、ハード、WTAプレミア)は22日、シングルス決勝が行われ、第1シードの大坂なおみが世界ランク41位のA・パブリュチェンコワ(ロシア)6-2, 6-3のストレートで破り、大会初優勝を果たした。日本勢の同大会優勝は、1995年の伊達公子以来24年ぶりの快挙。

 


 

 

 

決勝戦、序盤からウィナーを放った大坂が勢いに乗り主導権を握ると第2ゲームでブレークに成功、ゲームカウント3-0とリードする。

さらに強烈なリターンからロブを決めるなどで元世界ランク13位のパブリュチェンコワを圧倒。1度もブレークチャンスを与えなかった大坂は第8ゲームで再びブレークし、第1セットを先取。

第2セットに入っても大坂が強烈なサービスとストロークを武器に試合の流れをつかむ。第4ゲームでは深いリターンからウィナーを決めてブレークに成功。

その後も完璧なプレーを維持した大坂が
東レ パン パシフィック オープン
3度目の決勝の舞台で初制覇を成し遂げた。

今シーズンでは1月の全豪オープン(オーストラリア/メルボルン、ハード、グランドスラム)以来2勝目、キャリア通算4勝目となった。

 


久々の此の笑顔待ってました、
ありがとうね
  1.    
  2.  🍀🍀🍀山の辺の地蔵🍀🍀🍀

8月15日、武道館で全国戦没者追悼式が行われた。
1ヶ月間半のご無沙汰致しておりました。
私のファン・お友だちの投稿も数名だけになりました。

ご訪問・コメント頂いた方有難うございました、
リコメせずにごめんなさいね🙇暑さでダウンでした。


       img_0[1]

               終戦から早や74年

   武道館で 全国戦没者追悼式 が行われた。

      (私は終戦の日の1年3ヶ月前に生まれました。)


天皇陛下皇后陛下

天皇陛下皇后陛下 2


    全国戦没者追悼式 天皇陛下のお言葉

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者
追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数
多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の
平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩
みを思うとき、まことに感慨深いものがあります。

戦後長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、
深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に
願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に心から追
悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


           ライン-メイ6-10-1 img_5_m

yahooブログの先日のお知らせで
ブログの編集・投稿機能停止の予定について...


       2019/8/9(金) 午後 5:58
いつもYahoo!ブログをご利用いただき、ありがとうございます。
すでにご案内しております通り、9月1日以降はブログの編集・投稿が
できなくなります。
改めてご連絡いたします。  以下の機能が利用できなくなりますので、
編集や投稿が必要な方はそれまでに対応をいただけますよう改めて
お願いいたします。


        ライン-虹18

上記の為、コメントが出来るので有ればリコメも致します。
12月迄このまま公開して於きますので宜しく(ヤフーが閉鎖迄)



私は以下のブログ3個を予定しております。

Ameba-ブログ 主にして   セカンドにFC2 ブログ  サードとして Livedoor-ブログ

Ameba-ブログ 『山の辺の地蔵☆汎史』 
https://ameblo.jp/tsujii-hirofumi/


FC2 ブログ 『山の辺の地蔵☆CIDP』
https://tnw0119hiro.blog.fc2.com/?share=20933&index


Livedoor-ブログ 『山の辺の地蔵・CIDP・汎史☆』
http://blog.livedoor.jp/yamanobenozizoo_2019/


      投稿していますので お立ち寄り頂ければと存じます。
      どうぞ よろしく お願い申し上げます。
      yahooの時同様に宜しくお願い致します。


 
          ライン-犬-3   img_25_m

   P1050276 (2)
                私と  次男の娘と   家内
            P1050274 (2)

   残暑見舞い-2  img_5_m   Thank you-2-5-29 img_3_m    夏バテ-1  img_10_m

      アメブロ『山の辺の地蔵☆汎史』 どちらでもあなた好みの使い
    易い方へのご訪問をお待ち致しております、宜しくお願い致します。


     樹里さんimg_1481182_17788346_8
                         山の辺の地蔵  img_2_m
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テーマ:日記というか、雑記というか… - ジャンル:日記

2019年 京都祇園祭-山鉾巡行 前祭 (さきまつり)
          今日は京都も奈良県も朝から晴天です。

            ●19-7-17-0    P1050066

      2019 『京都祇園祭 山鉾巡行 前祭

       ●19-7-17- P1050065

【前祭 山鉾巡行】(7/17)

1 長刀鉾      2 蟷螂山(山一番)     3 芦刈山
4 木賊山      5 函谷鉾           6 郭巨山
7 綾傘鉾      8 伯牙山           9 菊水鉾
10 油天神山    11 太子山           12 保昌山
13 鶏鉾       14 白楽天山         15 四条傘鉾
16 孟宗山     17 月鉾            18 山伏山
19 占出山     20 霰天神山         21 放下鉾
22 岩戸山     23 船鉾


●19-7-17- P1050067

長刀鉾は常に巡行の先頭

四条通りを八坂神社の方へ東向きに進みます。


●19-7-17- P1050068
今年の一番くじの蟷螂山
            ●19-7-17- P1050070
●19-7-17- P1050071

            ●19-7-17- P1050072
し め 縄 き り

●P1050073

            ●P1050074
長刀鉾の辻回し
●P1050075

             ●P1050078

●P1050079
             ●P1050080
●P1050081

      ●P1050082
TVのアナとゲストと巡行地図
            ●P1050083
 上・下 菊水鉾の辻回し
            ●P1050085
●P1050086
             ●P1050088


     長い巡行ですので此れ位にしておきます。

       この写真はビデオからの写真を撮つたものです。

          ご 訪 問 有 難 う ご ざ い ま す 。


            img_11_m.jpg

                  山の辺の地蔵  img_2_m
            🍀🍀🍀山の辺の地蔵🍀🍀🍀
NHK-BS プレミアム『にっほん縦断 こころ旅 とうちゃこ』火野正平とスタッフ・ちゃりおの旅。
                img_6_m_20190714112240232.gif

ご無 沙 汰 致 し て お り ま し た 。

気まぐれ投稿ですが今後とも宜しくお願い致します。


                こころ旅表題

         NHK-BS プレミアム『にっほん縦断 こころ旅』

          火野正平とスタッフ・ちゃりお旅を


平日の午前7:30(15分朝版)と午後7:00(30分)の番組で

今年の4月に奈良県下を出発し〜三重県から裏日本を

週五日間の放送で7/8〜12日と7/16〜19日の間

北海道内を録画ですが、毎回楽しく視聴しています。

7/10〜12の3日間は何とか録画してTVビデオから写真

を撮ってみました。


            ライン-虹18

        7/10 は小樽市の西の余市町白岩でした。         

            夫 婦 岩

    余市町-1
          余市町-2
                余市町-3
今にも倒れそうな夫婦岩が綺麗な景色の中で凛と建っている。

          ライン-虹18

          7/11は 滝川市でした。

滝川市-1
        滝川市-2
                滝川市-3
                        滝川市 火野正平
滝川市手紙11日
           滝川畜産試験場 ・展望台跡地 
        滝川試験場看板
                試験場-1
                        試験場-2

ライン-虹18


7/12 は  新十津川町 尾白利加ダム


            12日タイトル

新十津川町は奈良県吉野郡十津川村(日本一大きな村)

から開拓者が移住して作った姉妹の町です。


新十津川町道0
                        新十津川町道1
手紙12日
                        新十津川町地図
石狩川
                        新十津川町 ダム
                        尾白利加ダム

                img17m.gif

          7/16〜19日の間も『NHK-BS プレミアム』で
          北海道内の放送在りますので観てね。


                      Thank you-2-5-29 img_3_m

未だ此のブログ慣れていないから、
                今後とも宜しくお願い致します。

                        zizoo - コピー
                    🍀🍀🍀山の辺の地蔵🍀🍀🍀

6月30日の板門店でのトランプ大統領と金正恩委員長。  ☆我が家のヤモリ恋してる❔
Welcome  img_11
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2人のタヌキの騙し合いか ? 仲直りか ?

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      日本政府は何を考え実行していくのか ❔





ライン-虹18 ライン-虹18

                img17m.gif


     今年も我が部屋の窓にヤモリ2匹

          遊んでるのか恋しているのか?


          P1050013.jpg 二枚の間でガラスの背中合わせで様子伺い。

                  P1050014.jpg
                 尻尾の付け根が違うのでたぶん雄と雌だろうね?     
                           P1050015.jpg💛お見合い中です💛

                     Thank you蝶 img_4_m

                    zizou.gif
                🍀🍀🍀山の辺の地蔵🍀🍀🍀
『G20サミット』が28日29日大阪市咲洲で開催。
     ☆近畿地方ようやく一昨日梅雨入り

    『G20サミット』が28日29日大阪市咲洲で開催

                 バラ

20190628-00000056-reut-000-4-view[1]
遠くの知人
                   20190628-00000038-mai-000-3-view[1]
                   近くの他人

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20190628-00000046-mai-000-2-view[1] 20190628-00000053-reut-000-1-view[1]

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20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が28日大阪市で

開幕し、初日の討議を終えた。世界経済情勢では各国から

米中貿易摩擦への懸念が噴出し、景気減速リスクは大きい

との認識を共有。対処を呼び掛けた議長の安倍晋三首相は

「G20が成長をけん引していくべきだとの点では共通認

識ができた」と総括した。また、世界貿易機関(WTO)

改革の必要性で一致。自由なデータ流通に関するルール

りの交渉加速についてもG20として合意したとみらる。


西村康稔官房副長官が明らかにした。安倍首相は冒頭で、

成長持続に向け「必要な行動を取るのがG20の責務だ」

と協調を訴えていた。


            img_11.gif

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                 日韓関係は、たった8秒の握手のみ。

日本政府は韓国が要請した、G20サミットに合わせた首脳会談開催
に応じず、元徴用工問題に関する韓国への不満を「形」に表した。
同じ隣国でも、27日の首脳会談で「対話の強化」を確認した中国との
違いが際立った。


                   img_44_m.gif
                          zizoo - コピー

気まぐれ投稿で申し訳御座いません、(体調不良の為)
                 img_6_m.gif
                 早々のご訪問ありがとうございます。

                  ●31-2 img_1 (2)
          忘れた頃に咲く手入れのしてないサボテンの花

            私 の ブ ロ グ と 同 じ です。




            昨 日 は 女 子 プ ロ ゴ ル フ ツ ア ー 

            ニ チ レ イ レ デ ィ ス 最 終 日

  プレイオフ優勝

               鈴木愛
優勝賞金 1,440万円 ⇑     日産車両 NOTE ⇓
                                  ●213334

          鈴 木 愛 が プ レ ー オ フ を 制 し 、

        2 週 連 続 優 勝 & 大 会 連 覇 達 成



鈴木愛が、ともに最終組で回った高橋彩華とのプレーオフ(PO)を
1ホール目で制した。最終ラウンド(R)を終えて通算9アンダーで
並んでいた。
18番パー5で行われたPOでは、鈴木が2オンに成功。
確実に2パットでバーディーを奪った。一方、高橋は第1打を左に
曲げてパーだった。

 鈴木は2週連続優勝と大会2連覇を達成し、今季3勝目、ツアー
通算12勝目を飾った。2打差3位から出た最終Rでは、5バーディー
1ボギー、1ダブルボギーの70だった。高橋は72と伸ばせなかった。

 同じ最終組で回った比嘉真美子は3人が並んだ最終18番で、第
2打がグリーン左のバンカーにつかまり、出すのに2打を要し痛恨の
ボギー73とスコアを落とし7アンダー3位に終わった。


                   img_11.gif

   ツバメ

                     ●P1040999  サルビア
                        サルビア
                             ガウラ
                                     ガウラの花(白蝶草)
                  zizou.gif
                山の辺の地蔵
  
                 Thank you-18.5.29 img_6_m

CIDPとは (慢性炎症性脱髄性多発根神経炎)★此れより前は2003年のCIDP闘病記。
CIDPとは (慢性炎症性脱髄性多発根神経炎)


『CIDP』参考資料  2009/12/25(金) 午後5:20 (投稿日)


2003年12月17日『ギランバレー症候群』発症、〜4週間後

『CIDP』に病名が変わり治療に4ヶ月間、県リハビリセンターで

3ヶ月間の予定を費用不足の為1ヶ月間で退院し、11ヶ月間

通院しながら自宅で雨の日以外は毎日リハビリと散歩して無

事バイトではあるが施設警備員を勤める事が出来ました。

今迄の処薬は欠かせる事は出来ませんが再発する事が無く

過ごさせて戴いております。



尚、この『CIDP、闘病記録』等の投稿はyahooブログに
2006/10/28(土) より3年余りかかり投稿した記事ですが、
yahooブログ終了の為 FC2 へ転載移動致しました。

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慢性炎症性脱髄性多発根神経炎
(まんせいえんしょうせいだつずいせいたはつこんしんけいえん)

1. 慢性炎症性脱髄性多発根神経炎とは
数日(急性)、約1週(亜急性)以内に発症する急性の脱髄性
多発根神経炎(ギラン・バレ-症候群)に対して、発病は急性、
亜急性の時も、慢性の時もありますが、緩徐に進行する場合や
、再発、再燃を繰り返す多発神経炎をいいます。
原因の明らかな場合と原因不明の場合があり、一般に原因不明
の場合を称します。
末梢神経は鉛筆の芯となる軸索とそれを覆うシュワン細胞の細
胞体からなる髄鞘により構成されていますが、本症は髄鞘が直
接障害される疾患(脱髄)です。

2. 我が国や外国でもきちんとした統計学的な検索はおこなわれ
ておりません。  (参考資料では10万人に1人位の発症)

3. 詳細に検討した報告はありませんが、89例の私どもの分析で
は、男女比は62:27で男性に多い傾向があり、2歳から70歳ま
で広い年令層にまたがっています。上気道感染、妊娠、手術、ワ
クチン接種などが引き金になり発病、再発することがあります。

4. 原因はまだはっきりしていません。キャンピロバクタ-腸炎、
サイトメガロウィルス感染後に発症したり、再発、再燃すること
があり(前駆感染)、血液に末梢神経髄鞘構成成分(蛋白や糖蛋
白など)に対する抗体が出現したり(液性免疫)、細胞性免疫な
どの異常が指摘されており、免疫が関与することは明らかです。

5. 本症が遺伝するとした報告はありません。ヒトの主要組織適合
遺伝子複合体であるHLA(human leukocyte antigen)はヒト6番染
色体の短腕上に存在する遺伝子領域によりコ-ドされる細胞膜糖
蛋白質でクラス I 抗原(HLA-A,-B,-Cなど)、クラス II 抗原と
してHLA-DR,-DP,-DQ抗原があり、ハプロタイプを形成していま
す。本症ではHLA抗原などを検討し、HLA-A3,-B7,DR2の頻度が
高く、HLA-44,DR-7が低い報告があり、またHLA-DR2 ,-DR7と
B44との強い関連性があるなどの指摘がありますが、まだ確定的
なことはわかっていません。

6.障害される部位は脊髄から出て四肢、体幹の筋へ行く運動神経
(障害されると運動麻痺となります)、皮膚、関節などから脊髄
へ入る感覚神経(障害されると四肢の感覚麻痺)が障害されるた
めに、四肢の運動麻痺、感覚麻痺(鈍麻、異常感覚など)がおこり
ます。
時に脳神経障害により舌・咽頭節麻痺、顔面節麻痺や稀に呼吸麻
痺がおこることもあります。
再燃、再発、慢性進行により筋萎縮、感覚の脱失も出現してきます。
80%が運動障害優位の運動感覚障害型、10%が純粋な運動障害
型、10%が感覚障害優位型です。

7. 病気の治療法
A 副腎皮質ステロイド療法
小児では副作用に注意しながら、長期にわたり減量、維持療法を行
なうと良い治療効果が得られます。無治療に対して本剤の有効性が
実証されていますが、反応しない例もあります。

B 免疫グロブリン静脈内投与療法
(一般にIVIg療法といいます)が平成11年6月から保険診療の適応
となりました。
比較的安全な治療法で、血漿交換療法と同等の効果が報告され、
本邦では簡便さも手伝って、積極的に投与されています。毎日1回
、総計5日間を1クールとして投与されます。この疾患の場合、1ク
ールの治療法で劇的な効果から無効まで幅広い報告があります。
また、1クールのみでなく、毎月3~5日間施行したほうが良いのか、
月に1日のみ施行した方が良いのかについてはまだ結論が出てい
ません。
無効の場合はA、C、Dの方法へ変えることが行われています。
本疾患の一つのタイプとして多巣性運動ニューロパチー(MMN)が
ありますが、この疾患はA、C、Dは一般に無効で、IVIg療法が有効
な例があります。

C 血漿交換療法
体重40Kg以下の小児や高齢者、心、腎疾患を有するヒトでは施行が
困難ですが、Bで治療効果があがらない場合はこの治療法を選択す
ることがあります。
本疾患の急性増悪時にはギラン・バレ-症候群(保険で認められて
います)に準じて本法を選択することがあります。

D 免疫抑制剤
免疫が関連する病気ですので、かなり以前より使用されてきてい
ます。
最近ある種の薬剤は相当の治療効果を発揮してますが、一般には
他の治療法と組み合わせて用いられることが多い薬です。

8. この病気はどういう経過
病気の経過は治療効果に依存することが多いと思います。再発、再
燃型の方が、慢性進行性の型よりも予後は良いとされています。
1975年の外国の統計では平均7.4年の経過観察した53例では完全
回復4%、車椅子以上の悪化が28%と報告されましたがその後の早
期診断、治療法の改善などで、1989年の約3年の経過観察した60例
では治療に反応したのは95%と報告されています。
副腎皮質ステロイド療法で症状の消失が何年にもわたり持続するこ
とが少なくありません。免疫グロブリンの静脈内投与法、血漿交換
療法の効果が外国で数多く報告され、我が国でも両療法が保険適
応となり、多くの患者さんに使用されています。



参考資料
研究班名 神経・筋疾患調査研究班(免疫性神経疾患)
情報見直し日 平成19年9月6日
Copyright(C) 財団法人 難病医学研究財団/難病情報センター


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  CIDP(公費対象)慢性炎症性脱髄性多発根神経炎

    『C I D P』参考資料


平成21年10月1日より難病疾患に指定されました。

1. 慢性炎症性脱髄性多発神経炎とは
慢性炎症性脱髄性多発神経炎(chronic inflammatory demyelinating
polyneuropathy: CIDP)とは、2ヶ月以上にわたって進行性または
再燃性の左右対称性の四肢の運動・感覚性障害を示す末梢神経
の疾患(神経炎)です。四肢の健反射は消失あるいは低下します。
症状としては手足の脱力や筋力低下が左右対称性に出現し、この
ため足に力が入らなく、転びやすくなったり、手の脱力のため物をう
まくつかめなくなったりします。また、感覚障害により手足のしびれ、
ピリピリする痛みなどを認めることもあります。CIDPの原因は現在も
なお不明ですが、自己の末梢神経に対する免疫異常がその原因で
はないかと考えられています。

数日から約1週で発症する急性炎症性脱髄性多発根神経炎(acute
inflammatory demyelinating polyneuropathy: AIDP 別名:ギラン・バ
レー症候群)に対して、CIDPの発病は急性、亜急性あるいは慢性の
時もありますが、経過は2ヶ月以上にわたり緩徐に進行する型(慢性
進行型)、再発と寛解を繰り返す型(再発寛解型)があります。

末梢神経を電線に例えますと、脱髄とは銅線を保護するビニールの
絶縁体の所々が脱落するような状態です。末梢神経は銅線となる軸
索とそれを覆う絶縁体にあたる髄鞘(ミエリン)により構成されていま
すが、CIDPではこのミエリンが原因不明に障害される疾患(脱髄)で
す。

慢性炎症性脱髄性多発神経炎、慢性炎症性脱髄性多発根神経炎も
いずれも同一疾患で根の有無により疾患は異なりません。また、慢
性炎症性脱髄性多発ニューロパチーと表現される場合がありますが
、これらもCIDPです。

2. この病気の患者さんはどのくらいいるのですか
我が国での厳密な疫学調査は行われていませんが、その有病率は
人口10万にあたり0.3~0.5人と推定されています。

3. この病気はどのような人に多いのですか
詳細に検討した報告はありませんが、89例の分析報告では、男女比
は62:27で男性に多い傾向があり、2~70歳まで広い年令層にまたが
っています。ギラン・バレ-症候群とは異なり、上気道感染、下痢な
どの先行感染もみられない場合も多く、発症に関する因子も知られ
ていない。

4. この病気の原因はわかっているのですか
原因はまだはっきりしていません。ギラン・バレ-症候群と同様に自
己の末梢神経を攻撃してしまう自己免疫異常がその原因ではない
かと考えられています。
血液に末梢神経ミエリン構成成分(蛋白や糖蛋白など)に対する自
己抗体が出現したり(液性免疫)、あるいは細胞性免疫などの異常
が指摘され、自己免疫異常が関与することは明らかです。

5. この病気は遺伝するのですか
本症が遺伝するとした報告はありません。ヒトの主要組織適合遺伝
子複合体であるHLA(human leukocyte antigen)はヒト6番染色体の
短腕上に存在する遺伝子領域によりコ-ドされる細胞膜糖蛋白質で
クラスⅠ 抗原(HLA-A,-B,-Cなど)、クラスⅡ抗原としてHLA-DR,
-DP,-DQ抗原があり、ハプロタイプを形成しています。
本症ではHLA抗原などを検討し、HLA-A3,-B7,DR2の頻度が高く、
HLA-44,DR-7が低い報告があり、またHLA-DR2 ,-DR7とB44との
強い関連性があるなどの指摘がありますが、まだ確定的なことはわ
かっていません。

6. この病気ではどのような症状がおきますか
脊髄から出て四肢、体幹の筋を支配する末梢運動神経(障害される
と四肢の脱力となります)、皮膚、関節などから脊髄へ入る末梢感
覚神経(障害されると四肢のしびれ、痛みを認める)が障害されるた
めに、四肢の運動麻痺、感覚麻痺(鈍麻、異常感覚など)がおこり
ます。 
時に脳神経も障害され、舌・咽頭節麻痺、顔面節麻痺、ごく稀に呼吸
麻痺がおこることもあります。再発寛解を繰り返し、あるいは慢性進
行性に末梢神経が障害され筋萎縮、感覚の脱失も出現します。
臨床的にはおおよそ80%が運動障害優位の運動感覚障害型・10%
が純粋な運動障害型、10%が感覚障害優位型です。

7. この病気にはどのような治療法がありますか
A 副腎皮質ステロイド療法
この治療法は免疫異常を伴う各種の病気に対して広く行われている
治療法です。
一般に、副腎皮質ステロイド薬を経口で投与しますが、症状が重い
時や急激な発症時には大量ステロイド点滴療法(パルス療法)が行
われます。これはメチルプレドニゾロン1,000mgを3~5日間、点滴
静注する治療法です。多くの場合ではパルス治療後に副腎皮質
ステロイド薬の経口投与を持続します。 無治療の症例に対して
ステロイド治療の有効性が実証されていますが、治療に反応しない
例もあります。
小児に対してのステロイド治療は、副作用に注意しながら長期にわ
たり減量、維持療法を行なうと良い治療効果が得られます。

B 免疫グロブリン静脈内投与療法
病気の原因として免疫異常が想定される場合に行われる治療法
です。
一般にIVIg療法といいますが、平成11年6月から保険診療の適応
となりました。 この治療法は免疫グロブリン 400mg/kg/日、
5日間、連日点滴静注する治療法です。
IVIg療法は血漿交換(plasma exchange: PE、下記を参照)療法に比
べ患者様の負担が少なく、比較的安全な治療法で、PE療法と同等
の効果が報告され、本邦では簡便さも手伝って、積極的に投与され
ています。
また小児に対しても治療が可能なため、最近では、CIDPに対して
IVIg療法を第一選択されている治療法です。

この疾患の場合、1クールの治療法で劇的な効果から無効まで幅広
い報告があります。また、1クールのみでなく、毎月3~5日間施行し
たほうが良いのか、月に1日のみ施行した方が良いのかについては
まだ結論が出ていません。本疾患の一つのタイプとして多巣性運動
ニューロパチー(MMN)がありますが、この疾患はA、C、Dは一般に
無効で、IVIg療法が有効な例があります。

IVIg治療を行っても十分な症状の改善を認めない場合、あるいは一
旦、神経症状が改善した後に再び増悪する場合では、再度IVIg治療
を行います。IVIg治療で治療効果が認められない場合ではパルス療
法あるいはPE療法を選択します。

C 血漿交換療法
血液成分の中の血漿に含まれる病気の原因物質を分離、除去し、
血液を健常状態に保とうとする治療法です。血漿分離器を用いて血
液を血漿成分と血球成分に分け、血漿中に含まれる原因物質(自己
抗体)を除きます。特別な医療施設、医療チームを必要としますの
で、いつでもどこでも出来る治療法ではありません。

体重40Kg以下の小児や高齢者、心、腎疾患を有するヒトでは施行が
困難ですが、Bで治療効果があがらない場合はこの治療法を選択す
ることがあります。

D 免疫抑制剤
病気の原因である自己抗体の産生を抑えるための治療法で、他の
治療法によっても治療効果が得られない場合において行われる治
療法です。
免疫抑制剤は単独または他剤と併用し、症状に応じて増減します。

最近ある種の薬剤(タクロリムス、シクロスポリンなど)はCIDPに対し
て治療効果を認めるとの報告がありますが、一般には他の治療法と
組み合わせて用いられることが多い薬です。

8. この病気はどういう経過をたどるのですか
この病気の経過は各種の治療効果に依存することが多いと思い
ます。
再発寛解型の方が、慢性進行型よりも予後は良いとされています。
1975年の外国の統計では平均7.4年の経過観察した53例では完全
回復4%、車椅子以上の悪化が28%と報告されましたが、その後の
早期診断、治療法の改善などで、1989年の約3年の経過観察した60
例では治療に反応したのは95%と報告されています。
副腎皮質ステロイド療法で症状の消失が何年にもわたり持続するこ
とが少なくありません。
IVIg療法、PE療法の効果が外国で数多く報告され、我が国でも両
療法が保険適応となり、多くの患者さんに適用されています。



情報提供者
研究班名 神経・筋疾患調査研究班(免疫性神経疾患)
情報見直し日 平成21年11月13日


C I D P (ギランバレー症候群〜) ・ 私 の 治 療 ・ 病 状 ・ 心 境
     治療経過(CIDP) 一覧

    2009/12/23(水) 午後 5: 30
(投稿日)


          天理よろず相談所病院
              天理よろず相談所病院 (憩の家)

 私 の C I D P 治 療 ・ 病 状 一 覧
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 ①  年/月/日(曜日)
 ②  治療・投薬・検査
 ③  病状【治療結果】・心境

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① 2003/12/17(水)
②            
③ 仕事中、身体虚脱感・冷や汗。 疲れか何か体調異変か?

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① 2003/12/18(木)
②      
③ 仕事、足首より先、力入らず

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① 2003/12/19(金)
② 診察(採血・X線)
③ 足首動かず、摑まらなければ立てず。病院へ先ずは整形内科で診察。

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① 2003/12/22(月)
② 診察・神経内科へ、即入院決定・隋液抜き取り・栄養液点滴 
③ 立って歩く事できず。ギランバレー症候群と診断。
  特別治療室入室、隋液抜き取りは痛かった。

----------------------------------------------------------
① 2003/12/23(火)
② 点滴〔ガンマグラマハン〕
 (免疫グロブリン製剤=危険性として感染症・免疫反応・過敏反応)を
 一日一本で五本の点滴
③ ガンマグラハンを点滴後、末梢神経から麻痺して往き、個人差で何処
 までか分らぬが底まで往って止まった時点で治療を開始との事。

----------------------------------------------------------
① 2003/12/29(月)
② 便が出ず、浣腸してもダメ、手で掻き出して頂く。
③ 腰から下麻痺、車椅子でトイレへ連れて行って頂くがお尻の筋肉が
 無くなり便座に痛くて座れない。
 便は出たが、いぼ痔が出て元に戻らなくなった。

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① 2003/12/31(水)

③ 何処まで麻痺するんだろう、今日はお臍の辺りまできている、
 手の方も肘から先が具合が悪い。

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① 2004/1/1(木)
② 尿取りパットをし始める。
③ 自分で足がどうなってるか動きが分からない。
 尿も尿瓶へ自分で出来ない。

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① 2004/1/6(火)
② 髄液の採取・神経検査、5人部屋へ移動、 食事はお粥と刻み食に。
③ 隋液採取も麻痺の為痛み感じず。 神経検査も大分悪くなっている
  担当医に「退院する時は歩いて帰るんですから先生宜しく」と言った
 食事も箸を持つ事が出来ずスプーンでお粥と刻み食に変えて頂いた。

----------------------------------------------------------
① 2004/1/8(木)
② 酸素吸入と左鼻からチュウブで胃へ直接栄養食を点滴開始。
③ 麻痺は脇腹まで、手の方も肩まで来てしまった。 酸素摂取量が90%
  苦しい、まだ死にたくない誰か側に居てほしい不安になる。

----------------------------------------------------------
① 2004/1/11(日)
② 自力での呼吸困難。 ICUへ人口呼吸器挿入。
③ 夕刻、麻痺により胸が筋肉で締め付けられる様に呼吸が出来なくなる
 意識が遠のく、家族には「もういいわ、此のまま放っておいて、もう
 死んでもいい」と確かに言った様だ。その後は意識もうろうICU
 へ運ばれた様だがそこで意識は無くなった。

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① 2004/1/12(月) ~ 2004/1/18(日)の間 意識不明。
② 血漿交換(他人の血漿)・リハビリ開始。
③ 此の一週間は全く意識無くて後で聞いた事ですが、
 血漿交換を開始(①自分の血を透析②人工血漿③他人の血漿・
 三つの方法が示されたが家族は③方法をお願いしてくれた)
 それとリハビリの先生も手足が固まらない様毎日動かしに来て
 下さっていた様です。

----------------------------------------------------------
① 2004/1/19(月)
② 人工呼吸器外す・血漿交換(新鮮凍結血漿)
③ 意識が戻り、息苦しい自分で上手く呼吸が出来ない、看護師さんの
 指示で胸を押えられた時息を吐き離すと吸う「ゆっくりと」と言う
 声に励まされ20分ほどで何とか落ち着いて自分で呼吸が出来た。
 何がどうなっているか分からない、首から下指一本動かない
 咽が痛い・痰が絡むチュウブで吸引してもらう。
 時間が経ってみると、鼻から咽胃へとチューブで流動食・
 酸素マスク・右手と右足付け根から点滴・左指には酸素量と
 脈拍等を計る機器が・それと左足付け根にも何かチューブが
 入っている様だ。 その後其れは血漿交換をする為のもので
 あり私の血を透析し赤血球はそのまま戻して他人の血漿と
 交換するための管であった。

----------------------------------------------------------
① 2004/1/20(火)

③ 意識はもうろうとしている、何時だか分からない意識の無い時の事
 を思い出したのか、昨夜か一昨日の夜か? ICUの部屋の中なのに
 ベッドの足元の方に広場がありその向こうに何階建の家があり広場
 で、頭は大仏さんの様で法衣を着たお地蔵さんの様な人が数人右へ
 左へとふわふわと飛ぶように歩き回っていて、昔の荷車に大きな瓶
 を積んでいた、其の内の一人が時々私のベッドの側へ来て顔を見に
 来る、その時私は目をつむりじっとしていると離れて行く、そんな
 事が何時間も続いたように思う、夢かあの世への入り口か?
 その他にも変なものを見た様だ。

----------------------------------------------------------
① 2004/1/21(水)
② 血漿交換(4回目)・ICUより病棟へ。
③ 4回目の血漿交換を終えて病棟へ戻る。
  ナースセンターの前の二人部屋へ入れて頂いた、腕は肩・肘が頭で思って
 から2~3秒遅れて力は入らないが少し動く、手はほとんど動かず力も
 入らない、ナースコールも大きいボタンの物に替えて頂いたが指先に
 力が入らないから押すことが出来ない、又テレビを点けてもらっても
 リモコンボタンを押せずチャンネルさえ変えられない、テッシュペーパー一枚すら取
 れない、看護師さんが通るのが見えるように病室の扉もカーテンも開
 て頂きもらい出ない声で呼んで、その都度お願いした、其れと人の
 姿が見えないと心細いから。

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① 2004/1/23(金)
② 血漿交換(5回目)
③ 透析の先生に聞くと、血漿交換は一回に450mL袋を8個計3.6
 リットルを入れ替えるとの事で約2時間30分かかる。
 入れ替え時はカルシュームが古い血漿と一緒に出てしまうから身体が痒く
 なるので言って下さいとの事でその都度

----------------------------------------------------------
① 2004/1/24(土)
② 鼻から胃への管を外し、粥食へ。
③ 寝たままで地下の散髪屋さんに入院後初めての散髪をする。
  胃への管を外してもらってジュースにとろみを付け飲んだが
  案外と素直に飲み込むことが出来た。
  1本か有った歯が無いので先生に「歯を飲み込んでしまったの
  ですか」と聞くとICUで人工呼吸器を入れる時に邪魔になる
  から君に聞いたらOKと言ったよと笑われた(私には意識が無
  かった)
  昨日あたりから肩・肘・手首ゆっくりと動くので、夕食よりプラ
  スチックのスプーンを曲がった人差し指と中指に挟んでぎこち
  なくすくっては口から迎えに行くようにして食べれた、おかず
  もミキサーで潰してあるので何がなんだか判らず食べた、口か
  ら食べる事が大変嬉しく涙が溢れた。

----------------------------------------------------------

              奈良盆地
        春霞の中小さく見える大和三山(左より香久山・耳成山・畝傍山)

----------------------------------------------------------
① 2004/1/25(日)

③ 昨晩から足の先が布団に当たって麻痺しているのに強烈に痛みが走る。
  我慢が出来ずに看護師さんに足の指と足首を揉むように動かしてと
  片足10回づつ1時間半から2時間おきにお願いした。
  朝食の久々の味噌汁大変美味しかった、S看護師さんに「味噌汁が
  こんなに美味しいの、生きてて良かったありがとう」と言った。
  その看護師さんに足を揉んでもらっていて彼女は足を骨折等した時に
  布団が当たらない様にアーチ型のガードを膝から下の所へ置いてその
  上に布団を架けて下さった、おかげで痛みの回数も半減した。


-----------------------------------------------------------
① 2004/1/26(月)
② 6回目最後の血漿交換。リハビリ
③ 血漿交換時は自分の血を抜いた時血中のカルシュームが出てしまう
  ので、身体が痒くなるので其の時は先生に言って新しい血漿にカル
  シュームを注入して頂く。
  リハビリの先生は月曜から金曜の間毎日手足が硬直しないように
  揉んだり動かして下さる。
  足の方にガードをして頂いたたが足を動かせないから同じ形でいる
  し、ベッドの下の方に当たっているとやはり我慢が出来ない痛みが
  はしり看護師さんに揉んでいただく。

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① 2004/1/27(火)
② 血漿交換用の左足付け根の7mmの管静脈の血管より抜いて頂く。
  リハビリ指の運動
③ 筋力が無くなると手は自然と握った様になり、指を伸ばすことが出来
  ない、手というのは指を伸ばすのに大変筋肉を使っている事が始めて
  知った、健康なときは手を開いている事なんて自然と思っていた。

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① 2004/1/28(水)
② 車椅子に乗せてもらう。
③ シーツ交換日、骨のあるタコの様な私を二人の看護師さんが車椅子へ
  乗せて下さり、私が長い間空を見てないので見たいと言ったので空の
  見える部屋へ連れて行って下さった、眩しかった。

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① 2004/1/29(木)
② 初風呂
③ 入院後、40日ぶりの入浴、点滴の針のみと尿道にはバック付の管付で
  シャワーのみであったが気持ち良かった。唯、飢餓でやせ細ったアフリ
  カの子供の様に骨と皮だけの自分の身体には驚いた。

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① 2004/2/2(月)
② 始めてリハビリ室へ
③ 台の上へ寝て自力では動かないから、先生に間接の屈伸とアキレス腱
  を伸ばす事をやって頂いた。]
  自分が立つことも真直ぐ座ることも出来ないので、他の患者さんや看
  護師さんが歩いているのを見て『人間は如何して二本足で立って歩け
  るのだろうか?』と不思議でしょうがない。

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① 2004/2/3(火)
② 尿管外す。
③ 管を外すと尿意があればナースコールし、おしめを外して尿瓶を股間
  に置いて準備して全て看護師さんにやって頂く、2~3時間おきに。

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① 2004/2/5(木)
② 入浴は週2回、月・木曜日
③ 体温は常に37度2分から38度3分入浴しても汗は出なくて、風呂上
  りの氷枕が気持ち良い。

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① 2004/2/12(木) 再発ギランバレーからCIDPに
② ステロイド(免疫抑制剤)の投与を選択。
③ 2/9頃より動き出した手が徐々に動かなくなり、先日まったく動かず
  ゼロに逆戻り、採血し検査の結果 CIDP(慢性・炎症性・脱髄性・
  多発根・神経炎)と診断、治療法は①血漿交換・ガンマノーグロブリン療法か
  ②ステロイド・免疫抑制剤の投与のどちらかであったが②のほうを
  お願いした、ステロイドには副作用が有り、感染症(免疫力の低下)
  ・骨粗鬆症・胃潰瘍・ムーンフェース・中心性肥満・白血球の増加これ
  らに注意をしなければならない。

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① 2004/2/13(金)
② 本日より3日間ステロイド1,000mg点滴。
  リハビリも一から自室先生に来てもらいベッドでして頂く。
③ 点滴をすると身体がカーッと暖かくなる。

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① 2004/2/16(月)
② 今日よりステロイドの錠剤、プレドニゾロン・5mg×6個(朝のみ)
  その他アルファロール・メチコバール・ザンタック・MUP。
③ ステロイドは様子を見ながら徐々に減らして治療をしていくとの事。

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① 2004/2/17(火)・2004/2/18 (水)
② MRIでの検査
③ 始めてのMRIの検査50分ほど掛かった、頭の先から足の先迄の検査
  で、ヒューム管の中へ閉じ込められた感じで閉所恐怖症の私には初日
  の50分間は気が狂いそうであった、二日目は学生時代の同級生や今
  まで出会った人達の名前と顔を思い描く事で克服できた。
  18日から二人部屋から五人部屋へ移った。

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① 2004/2/19 (木)
② 入院後初の浴槽での入浴。
③ 今までシャワーだけの入浴だったが、今日から車椅子に乗ったまま
  入浴出来る浴槽へ入れて頂いた、首まで浸かると足が軽く感じ少し
  動いた様に思った、又 おかげで今まで出なかった汗が出るようにな
  って爽快な気分になった。

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① 2004/2/21(土)
② ステロイドとリハビリの効果。
③ ステロイドのおかげで一・二秒遅れるが腕から先が少しづつ動き出し
  た意識していないと指は握り締めたままになるので、常に指を反り
  返らせて手の甲側の筋力を付ける様にした、これをやる時は麻痺し
  ているから全身に強烈な痺れの痛みが走りつい唸り声を上げる。
  半分はリハビリの先生と看護師さんのお力をかり残りは自分の気力
  と自分で自分を励ますしかない。

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① 2004/2/25(水)

③ 朝目覚めると「アア今日も生きている」全身麻痺したままだが、
  指一本一本伸ばしてからグー・パーの繰り返し、唸り声を噛締め
  ながら頑張る。痺れは生きてゆく限りついて回るのかと思うと堪ら
  なく哀しい、でもそれ以上に妻や家族はやりきれないだろう。

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① 2004/3/5(金)
② 車椅子の練習・隋液採取。
③ 看護師さんにお願いし、看護師さんの首に何とかしがみつき車椅子へ
  乗せて頂き、病棟内をゆっくり偵察、ナースセンターの本立てに西村
  京太郎の推理小説の単行本があったので借りて読むことにした。午後
  はあの苦手の隋液の採取であった、担当医N先生と私のお気に入りの
  N看護師さんだから麻痺も少し減ってきている性か痛みが一段と厳し
  かったがN看護師さんだから我慢が出来た。その後本を一気に読んだ。

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① 2004/3/9(火)
② リハビリ・歯科へ
③ 午後のリハビリは手と首は大分動くようになり少しづつ力が付いて
  きたようだが、お腹から下は感覚なし、リハビリのK先生が足首を
  動かしてと言われてもまったく動かない。その後歯科へ上の歯は一
  本も無し、下顎は前歯が7本有るだけ先ずは型取りだけして頂いた。

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         ツバメ

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① 2004/3/13(土)
② 自主的リハビリ
③ 本日より以前妻に買ってもらったノートにその日の出来事を書いて
 みることにした。元来下手な字がボールペンを幼児の様に五本の指
 で握り締め書くものだから自分でも後で判読しにくい字では有るが、
 これもリハビリ頑張らなくては。土日はリハビリの先生が休みだか
 ら自分で色々やってみる、看護師さんにはご迷惑を掛けるが車椅子
 に乗せて頂き、五階の休憩室が見晴らしが良いと聞いていたので昇
 ってみた、南向きで日当たりも良く天理市役所・天理大学の2本の
 煙突・その向こうに自宅がある東の山竜王山とその向こうに三輪山
 が見えた、これからは毎日来る事にした。

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① 2004/3/15(月)
② 車椅子の乗り降りのリハビリ
③ 朝先生に握力を測って頂いた、右手7kg・左手11kgwであった。
 昼前の入浴の時、衣類を脱がせて戴いて入浴用の車椅子に乗り移る
 時、足の感覚は無いが頭で考えて足を伸ばす様にしてみると、看護師
 さんが「Tさんすごい」と言って喜んでくれた、自分では判らない
 が少し足にも筋力が付いてきたのか足が上半身を支えて少しの間だ
 が立てた様です。午後にリハビリの先生に車椅子の乗り降りの練習
 をさせて頂いたが焦ると足がもつれてあまり上手くゆかなかった。
 その後病室のベットで腹に神経を集中して頭で反動を付け、両肘を
 突き次に手の平を突いてベッドの枠を持たずに上半身を起すことが
 出来た、大した前進の一日であった。

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① 2004/3/17(水)
② 神経検査・リハビリ
③ 身体を自分で動かしても、看護師さんに動かしてもらっても麻痺で
 未だ全身が痛さにうめき声を上げてしまうし、高熱のせいか耳の中
 で相変らずセミが鳴き続けている。
 神経検査では手の方は少し良くなってきているので、電極の当たる
 処がビリビリと痛く感じる様になった、良くなっている証拠である。
 リハビリは四つんばいになり両膝でふらつくが10秒位立てた。
 又四つんばいから右手と左足を上げる・その逆の練習を始める。

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① 2004/3/18(木)
② 部長回診とリハビリ。
③ 毎週木曜日9時より部長回診で「少しづつよくなって来ているね、
 聞くところによるとリハビリ頑張っているね余り無理をしないよう
 に」と言われた。午後のリハビリに行く時、看護師さんに見守って
 もらい足はもつれたが腕力でどうにか自力で車椅子に乗ることが
 出来た。

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① 2004/3/20(土)
② 初めてのトイレ
③ 昨夜先生に握力を計って頂く、右 11 kg ・左 15 kgであった。
 看護師のMさんが「今日はトイレへ行って便をしてみょうか」と言
 われ、何時までもベッドで看護師さん達に迷惑を掛けられないから
 思い切って車椅子で連れていって頂き腕力だけで便器に移り頑張っ
 てみた、手摺りに摑まりながらでは便が出た感じはしなかったが見
 て頂くと「よく出ていますよお茶碗一杯くらい」と喜んで戴いた。
 でもまだまだ介助をして頂かないと一人では無理。

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① 2004/3/22(月)
② リハビリ
③ 昨日は看護主任に手足の爪を切って戴いた、足先は未だ完全に麻痺
 したままなので一寸触られると全身に痺れが走るが我慢をして切っ
 て戴いた、足の指は麻痺で曲がったまま親指は外反母趾の様である。
 リハビリは車椅子の乗り降りは腕力で出来る、正座も出来る様にな
 った、でも痺れはきつく常に熱が高く・耳鳴りも続き辛い毎日である。
 明日は県の身障者リハビリセンターで問診と検査があり結果次第で
 は受け入れて頂けない可能性もあり心配である。

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① 2004/3/23(火)
② リハビリセンター転院の審査の為の診察
① 介護タクシーにて田原本町の『奈良県心身障害者リハビリティションセンター』
 へM神経内科部長の問診と体調診察、平行棒の所で一寸立ってみて
 下さいと言われて「歩いてみて下さい」と言われビックリした。
 (ここで一歩でも前に足を進めねばと)2・3歩進めた、先生は「はい、
 結構ですとうなずかれた。今のところ25人待ちなので早くて一ヶ
 月先で審査が通れば転院していただけるでしょう、決まりましたら
 憩いの家の方へ連絡いたします」と印象の良い言葉であった。
 印象としては80%受け入れて頂けそうだと妻と話しながらよろづ相談
 所病院へ戻った。   
 明日から一ヶ月頑張らなくっちゃ。

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① 2004/3/27(土)
② ミキサー食から刻み食へ。
③ 今のところ上の歯は一本も無いが小さくではあるが何の食材か分か
 ることが嬉しい歯茎ではあるが噛んで食べるのは約3ケ月ぶりである。

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① 2004/3/28(日)
② 体重測定  パジャマを着て45kg
② 1~2月のちり紙一枚持てない時には手足がミイラ同然の時は多分
 35kg位だったろう。

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①2004/3/31(水)
② リハビリ順調、毎日が前進。
③ 自分で手の爪切り試みる、左手の親指・人差し指・中指・右手の親指
 この四本のつめが切れた。

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① 2004/4/1(木
② 病院の開所記念日
③ 病院はお休み、看護師さんの出勤も土日並み、昨日の残りの手の
爪切りに挑戦、時間はかかったが案外きれいに切れた。

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① 2004/4/5(月)
② リハビリ・平行棒で立ち歩き。
③ 今日の入浴は看護師さんの助けをかり、頭と身体はタオルで洗う
  ことが出来た。
 リハビリ室へ行くと、リハビリのK先生に体力を付ける為の基本
 メニューを決めて頂き先生が来られる迄に自主的にしておく、
 ● 基本のメニュー 
 ① 横向きに寝て上になっている足を真っ直ぐ伸ばしたまま
  太腿より先を10回上げる(両足)
 ②打つ伏せになり下肢を上げる(水泳のバタ足の様) 
 ③うつ伏せで片足を伸ばしたまま太腿より先を上げる(これは
  腹筋・背筋・お尻の筋肉かなりキツイ) 
 ④上向きに寝てお尻を上げる(ブリッジ) 
 ⑤上向きに寝腹筋運動、それぞれ10回以上調子がよければ
  20回行う、

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① 2004/4/23(金)
② 県リハビリティションセンターへ転院
③ 9:15 K士長の見送りで、よろづ相談所病院をあとにする。
 9:45 奈良県心身障害者リハビリティションセンター着。
 受付後3階の320号室(4人部屋)北奥の窓側のベッドで見晴
 らしの良い部屋で一安心。 担当のT看護師さんがこられ
 体重51kg・握力左30kg右32kg測定して頂いた、今日は金曜
 日なので土日ゆっくりして月曜に検査・診察を受けてリハビリ
 始めましょうと言う事であった。

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①2004/4/26(月)
② AM-検尿・採決・心電図・X線・CT・問診
  PM-PT(理学療法)・OT(作業療法)
③ 診察結果・左肺に影あり、尿少し濁っている、血液白血球多目、
 心臓左の筋力が弱く神経が弱い、と言う事であった。
 午後1時に理学療法室へ「Tさん、K.Iです今日から貴方
 の担当ですのでよろしく」とさっぱりとした若い女性の先生
 で第一印象はOKでした。初日だったので訓練台で横になり
 手足を軽く揉んで頂き筋力を確認されて、今迄の訓練のして
 来た事を尋ねられ前の病院でやって来た事を見て頂いた、
 見ていた先生は「大分よく出来ますね、頑張られたのですね」
 と言われて、平行棒の所へ行き軽く棒に触りながら歩いて見
 せた、その後自転車こぎ、センサーを手に付け三分間こいだ
 そしてマットに横になり軽くマッサージをして頂き初日だっ
 たので其れでPTは終わった。
 引き続き1時40分作業療法室で「Tさんの担当のK.Uです
 よろしく」と室内に入り、作業台の部屋・畳の部屋・風呂場
 の部屋の説明を受けてからどの程度動くか風呂場で車椅子か
 ら立って風呂椅子に座ったり立ったり、畳の部屋でブロック
 を数個あちこちに置いてありそれを見つけ出して集める事な
 どをした、Ku先生は話してみると今年4月よりOTを始
 められた若い女性で優しく丁寧に教えて下さり、私はPT・
 OT共よい先生に恵まれた様だ、明日からも楽しくリハビリ
 に専念出来そうである。
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① 2004/4/27(火)~4/30(金)
② PT・OTの訓練
③PT-、仰向けで足首を押さえて頂き腹筋運動10回・四つん
 這いで右手と左足を同時に上げ5秒・左手と右足を上げ5秒
 これを計10回・次は先生に横に付き添って頂き杖を突いて
 100m程歩く、翌28日には杖を突きK.I先生の介助で病院
 の階段を1階から3階まで上がり、廊下を歩きもう一方の
 階段を下った、横手摺多く付いた壁面の前で座って、片足を
 立てその足の力で手すりを持ちち上がる左右3回づつ、腹筋
 下半身の筋力が大分付いて案外軽く出来た様だった。
 30日には病院の裏の公園往復500mは歩けた。
 OT---入浴の練習・車椅子から椅子に座り替え衣類の脱着
 トイレの練習ズボンの上げ下げ、便座への立ち座り・小豆の
 入った容器にパチンコの玉を5個入れ探す、指先の神経感覚
 の練習。OTの先生の指示で30日の夜9時に担当看護師さん
 監視の下一週間ぶりの入浴で大変気持良く教えどおりの入浴
 が出来た、其の晩はぐっすり眠れた。

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① 2004/5/1(土)~5/5(水)
② ゴールデンウィーク外泊許可・自宅へ
③OTのK.U先生より「自宅の玄関・敷地内の段差・階段・廊下・トイレ
 ・風呂などのバリアフリーの状態を確認して、写真を撮っ て来て下
 さいね」との宿題。先ずはどの程度自分が自宅の現状のままで対
 応出来るか確認をしてみた、廊下とトイレには息子が 手摺りを付
 けてくれていた本当に助かった。只トイレで大便をしたがウォシュレ
 ットでないので未だ指先の感覚が戻っていない為 お尻を拭くのに
 少し手間がかかり大変だが何とかやれそうである、その後お風呂へ
 入った浴槽へは手摺りは無いが浴槽の縁を しっかり握り締めて入
 ることが出来たが、身体を洗う時に椅子が小さい為に足の踏ん張り
 が利かないので風呂マットへ直にお尻 を下ろして洗うようにした、
 寝床も以前は畳に布団を敷いていたが、安物ではあるが手動のリ
 クライニングのベットを買っていてく れたので寝起きには不自由を
 感じなかった。

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① 2004/5/6~5/28
② リハビリセンターでの成果
③ 懸命のリハビリ・・・・・病院ともお別れ。
 5月6日よりリハビリセンターでの再開、午前中はOT・PTの先生の
 指導での訓練、OTはトイレと入浴の練習と手の動きと指先の 感覚
 の回復訓練。
 PTは杖を出来るだけ使わず歩く練習と床からの立ち上がりと座る練
 習と筋力を付ける為の自転車こぎやボートこぎを行った。
 午後は毎日自分一人で疲れない程度に杖を持ちながら、適度に院内
 の1階の廊下を歩き回ったり階段を上下したり、ベランダや玄関・駐
 車場に出て散歩をして、ステロイドの服用で体重も60数kgになった
 ぶくぶくの身体を筋力に変える為一生懸命に頑張った。
 その甲斐有ってか5月半ば過ぎにはOT面ではスケッチブックに色鉛
 筆ではあるが病院の玄関の絵を描きOT室の掲示板に飾って頂いた、
 その後先生の指導で皮細工をして小銭入れ作る事が出来るまでにな
 った。
 PTの方も物に掴りながらも少しだけだが片足立ちも出来るようになっ
 た、未だ完全に杖を放して歩くことはムリではあるが。
 5月19日M先生が回診に見え前日相談していた5月28日退院の許
 可が出た、後の10日間はOT・PTの先生に色んな場合を想定して教
 えて頂いた。
 退院の日M先生の検診を受け握力も両手共30kgを超えるようになっ
 ていた、今後の通院は元のよろづ相談所病院で了解を頂 き、一週
 間分の薬を頂き「よく頑張りましたね、こちらへは7月5日に一度診察
 に来て下さい」と笑顔でおっしゃって頂き「本当にありがとうございまし
 た、我侭ばかり言って申し訳ございませんでした」とお礼を申し上げ、
 その後OTとPTの先生にもお礼を申し上げて病院を後にした。


                 zizou.gif 山の辺の地蔵☆ 

CIDP記録No.47 ・ 5月29日(土) 5ヶ月ぶりの自宅での目覚め、とその後。
闘病記録No.47 ・ 20自宅での目覚め。 とその後。

CIDP闘病記録2009/12/22(火) 午後 5:17 (投稿日)


    47-1 金のなる木 img_1   47-2 金のなる木 img_2
                          金 の な る 木
                47-3 三輪山 img_3
                  町 内 と 崇 神 天 皇 陵 と 三 輪 山

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   CIDP闘病記録2009/12/22(火) 午後 5:17

   CIDP再発も無く、発病・入院して早6年。


気 ま ぐ れ ブ ロ グ ご 訪 問 あ り が と う ご ざ い ま す。

先日12月18日は発病、今日22日はCIDP
    (最初はギランバレー症候群) 入院して早6年経ちました。


よろず相談所病院にて4ケ月・奈良県心身障害者リハビリセンター

で1ケ月の入院をして2004年5月28日退院し、約1年間自宅で自分

なりに計画し、リハビリをして足首より先の痺れは取れないが何と

か回復した。

2005年5月11日よりバイトの常駐警備員を始めて4年8ヶ月今日迄

お蔭様で再発する事無く生かされている事を感謝しています。

しかしこの間毎朝起きた時は立てるか? 歩けるのか? 今でも

最初の2~3歩は物に摑まりながら5、6歩進んでアァー今日も大

丈夫と自分に言い聞かせ、気合を入れて今日一日を頑張ろうと思

う日々を過ごしてきました。

・・・・・でも最近は精神的に少し疲れているのか、

・・・・・生きて居る事が辛く思えて朝など起きる時に

・・・・・此のまま死ねたら楽になるのにナァーと思うことが多い、

・・・・・今の私には特に夢も無く・楽しい目的も無く、

・・・・・病気の時とその前の少しの借金の返済の為に

・・・・・バイトをしている様な毎日~~~~~『辛い』

・・・・・こんな事ではいけないと思いながらも、

・・・・・バイトに行って人様(仕事先の学校の職員・学生・同僚)

・・・・・と話している時は辛いことは忘れて冗談話をして

・・・・・明るく過ごさせて頂いているが、

・・・・・自宅に帰り我に返ると心身ともに脱力感に襲われて

・・・・・唯何かをしようと思っても無気力な時間が流れ、

・・・・・虚しさだけが残る、少し~『鬱(ウツ)』~の様に思える。


思い返せば2004年5月29日退院した翌日から自分一人で杖にしが

み付きながら近くの天理市の山の辺の道の施設の芝を張った駐車場

(長さ10m程)を初日は10回往復し毎日少しづづ疲れない程度に距離

を伸ばしてゆき、次には自宅の在る集落と隣に有る墓地を一周する、

その次は隣の集落を一周する、そして隣の次の集落迄足を伸ばす、

其のつぎは犬を飼っているのでリードにプラス3m程のロープを繋ぎ

腰に結び付けて、犬はウェルシュコーギーなので適度の力で引っ張

ってくれるので町内には崇神天皇陵があるので犬の散歩を兼ねて

急な階段を引っ張ってもらって登りお堀の堰堤をを廻り見晴らしの

良い所で休憩し、奈良盆地の南半分の三輪山・大和三山(左から

香久山・耳成山・畝傍山)や 金剛山・葛城山が望め、桜井市・橿

原市・高田市・御所市や壷坂寺の在る高取町・現在の葛城市等、

ぼんやりと眺めて帰る。

 そんな毎日の繰り返しの結果『ステロイド』でぶよぶよの肉が段々

筋肉に代わり身体も顔も大分引き締まってくると共に脚力も腕力も

徐々に付き杖を地面に突ける回数も減ってくる、四週間に一度の

通院も最初は息子や妻に送ってもらって帰りは一人バスでしたが、

其のうち一人で往復バス通院、その次は行きは約6kmを徒歩で

さすがに2時間以上かかったし足の裏が板の様に感覚が無くな

った。

そんなこんなで2005年2月頃には息子に横に乗ってもらって自動

車の練習し3日程で乗れる様に成った、3月頃から手内職をやり

だし4月にハローワークへ行き身体に合った職探し、月末には今

やっている警備会社が快く即日OKを頂き5月から勤務することに

なった(病気がCIDPだから賃金は最低限ではあるが)何とか働け

る此処まで回復するとは病院の医師や・看護師さん達・家族皆喜

んでくれたし、一番驚いたのはこの私だった。

                       山の辺のお地蔵さん

闘病記録No.46 ・自宅外泊と退院。 ・ 5月28日退院。
   闘病記録No.46 ・5月28日退院、自宅でリハビリ。

CIDP闘病記録2007/12/15(土) 午後 3:38 (投稿日)

46-1 地蔵菩薩img_0 46-2四つ葉のクローバーmg_1
                      地蔵菩薩 と 四つ葉のクローバー
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    闘病記録No.46 ・外 泊 許 可・ 自 宅 へ。

     平成16年5月1日(土)  晴れ
  
      外 泊 許 可・ 自 宅 へ


朝食後看護師さんに内緒で、三階のリハビリコーナーで自分一人で

基本運動と杖を突きながら平行棒の側で歩行訓練を50m程行った.

 一昨日1日から5日夕刻までの外泊許可が出て、今日昼頃妻が迎

えに来てくれ車椅子を借りて午後一時に自宅へ着いた、犬の名前は

『ロック』(ウエルシュコーギー)が久しぶりに見る私を見て鳴く事も無

くクリクリした目で首を傾け不思議そうな顔をして出迎えてくれた。

OTのKu先生より「自宅へ帰られたら、玄関・敷地内の段差・階段・

廊下・トイレ・風呂などのバリアフリーの状態はどうなっているか確

認して、写真を撮って持って帰って来て下さいね」と指示を受けてい

たので先ずはどの程度自分が自宅の現状のままで対応出来るか

確認をしてみた、廊下とトイレには息子が手摺りを付けてくれてい

た本当に助かった。

3時過ぎにトイレで大便をしたがウォシュレットでないので未だ指先

の感覚が戻っていない為お尻を拭くのに少し手間がかかり大変だ

が何とかやれそうである、その後お風呂へ入った浴槽へは手摺りは

無いが浴槽の縁をしっかり握り締めて入ることが出来たが、身体を

洗う時に椅子が小さい為に足の踏ん張りが利かないので風呂マット

へ直にお尻を下ろして洗うようにした、寝床も以前は畳に布団を敷

いていたが、安物ではあるが手動のリクライニングのベットを買って

いてくれたので寝起きには不自由を感じなかった。

 この五日間で色々やってみて早く自立できる様に持ってゆきたい。


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         平成16年5月2日(日) 晴


 昨夜は10時に寝て朝7時に起きるまでの間に4回もおしっこに行

った、緊張している性かも知れないが。

朝食は牛乳と食パン2枚を食べた、その後OTの先生に言われてい

た風呂・トイレ・廊下・家の出入り口の写真を撮った。

 昼食後トイレに行ったがやはり時間がかかった自分では指先の感

覚は有ると思っているのだが実際には目に見えないところでは思う

ようにならない、歯がゆい思いである。

 午後4時から妻に同行してもらい近くの長岳寺と黒塚古墳の展示

館へ杖を突いて一歩一歩確認しながら歩いて散歩してみた、普通な

らば30分も掛からないのに約2時間位かかってしまった、大変疲

れた。

 風呂へゆっくり入り足をマッサージして早めに寝ることにした。


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        平成16年5月3日(月)  晴れ

 午前中に妻の車に乗せてもらいホームセンタージョイフルと田原本

のジャスコへ買い物と昨日 撮った写真の現像に連れて行ってもら

った。

 午後は小さな庭先ではあるが、昨年までよく咲いていた石楠花が

世話する私が居なかったからか、私同様枯れかけて花一輪しか咲

いていなかった、肥料をやり手入れしたがもうダメだろう。

 昨日・今日とで少し疲れた、鏡を見ると顔が赤くむくんで丸くなっ

た様だ、すぐにベッドに横になった。


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        平成16年5月4日(火)  雨

 今日は朝から雨、天気の悪い日は気分的だけではなく熱っぽいし

身体がだるくて何もする気が無くなり、テレビを見たり眠ったりの

一日であった。

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        平成16年5月5日(水) 曇りのち晴れ
 
 外泊の間でも基本練習だけは毎日欠かさずやった。

 今日は午後に息子夫婦と孫の理沙子が遊びに来た、孫はもう歩

けるようになっていたが人見知りは変わらずなかなにか懐いてくれ

なかった。

 夕食を早めにして病院へ戻らなくてはならないので妻の車で6時

30分に自宅を出て6時50分に病院へ着いた。

明日から又頑張って一日でも早く退院できる様頑張らなくっちゃ。


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平成16年5月6日(木) 〜 平成16年5月27日

20日間余りで・・・・・・病 院 と も お 別 れ。


 5月6日よりリハビリセンターでの再開、午前中はOT・PTの

先生の指導での訓練、OTはトイレと入浴の練習と手の動きと指先

の感覚の回復訓練。

 PTは杖を出来るだけ使わず歩く練習と床からの立ち上がりと座る

練習と筋力を付ける為の自転車こぎやボートこぎを行った。

 午後は毎日自分一人で疲れない程度に杖を持ちながら、適度に

院内の1階の廊下を歩き回ったり階段を上下したり、ベランダや玄関

・駐車場に出て散歩をして、ステロイドの服用で体重も60数kgにな

ったぶくぶくの身体を筋力に変える為一生懸命に頑張った。

 その甲斐有ってか5月半ば過ぎにはOT面ではスケッチブックに色

鉛筆ではあるが病院の玄関の絵を描きOTの掲示板に飾って頂いた

、その後先生の指導で皮細工をして小銭入れ作る事が出来るまでに

なった。

 PTの方も物に掴りながらも少しだけだが片足立ちも出来るように

なった、未だ完全に杖を放して歩くことはムリではあるが。

 5月19日M先生が回診に見え前日相談していた5月28日退院の

許可が出た、後の10日間はOT・PTの先生に色んな場合を想定し

て教えて頂いた。


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     平成16年 5月28日(金) 晴れ

  病 院 の リ ハ ビ リ 終 わ り ☆ 退 院 の 日

 退院の日M先生の検診を受け握力も両手共30kgを超えるように

なっていた、今後の通院は元のよろづ相談所病院で了解を頂き、一

週間分の薬を頂き「よく頑張りましたね、こちらへは7月5日に一

度診察に来て下さい」と笑顔でおっしゃって頂き「本当にありがとう

ございました、我侭ばかり言って申し訳ございませんでした」とお

礼を申し上げ、その後OTとPTの先生や病棟の看護師さん達に

   お 礼 を 申 し 上 げ て 病 院 を 後 に し た。


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闘病記録No.44 ・ 感覚はまだまだ  ★ 闘病記録No.45 ・ハードなリハビリも順調 
 闘病記録No.44  感覚はまだまだ

CIDP闘病記録2007/11/25(日) 午後 8:25 (投稿日)


     44-2 真っ赤な紅葉img_0
              大学院の紅葉
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        平成16年4月27日(火)  雨

      感覚はまだ・杖で歩く練習開始


 9時45分よりOT・作業療法室の前でK先生に出迎えて頂き入室、

先ずは入浴の練習車椅子から普通の椅子に座り替え衣類の脱着

を三回「何とか出来そうですね」と先生の言葉。

続いて手摺りを上手く利用してトイレの練習ズボンの上げ下げ、便

座への立ち座り未だ指先の感覚がハッキリしないのでボタンの入れ

外しとジッパーの上げ下ろしなかなか思うように直ぐには出来ない。

その後は深さ5~6cm直径30cm位の容器に小豆半分位入った中

に右手を入れて上から見えない様にタオルを掛けて先生が「それで

は小豆の中にパチンコの玉を5個入れているから探してください」と

言われ私は心の中でなーんだ簡単な事と思って指先に神経を集中

して小豆の中を指を這いずり廻すが一向にパチンコの玉に当たら

ない、底の方から手の平ですくい上げる様にして親指で探る様にし

てようやく2個何とか探し出す事が出来た、自分では指先の感覚は

戻っていると思っていたが其れは目の力を借りていたからであって

本当の感覚はまだまだの様であった、左手も同様であった少しショ

ックである。

 10時30分PT・車椅子で理学療法室へ行きK先生に手を上げて

来ましたよの合図をしたら傍へ来られ「一寸待ってくださいね、その

間に前からやっている基本の運動を無理せずやっててね」と言って

他の人の処へ行かれた、10分程して来て頂き足をマッサージして

頂き、仰向けになり先生が足首を押さえて頂き腹筋運動10回する

のが精一杯であった、続いて四つん這いになり右手と左足を同時

に上げ5秒・左手と右足を上げ5秒これを計10回最初はふらつき

が有ったが慣れれば静止する事が出来た。

 次は先生に横に付き添って頂き杖を突いて100m程歩いた、「今

日は此れ位で終わりにします」帰りは車椅子を自分で押してエレベ

ーターをに乗り病室へ帰った。

 昼食を済ませてテレビを見ていると担当のT看護師さんが「身体

拭きましょうかと」来て頂き自分で出来ますからと言って蒸しタオル

4枚と乾いたタオル2枚置いていってもらい、自分で顔から足先ま

で暖かいタオルで拭き、乾いたタオルでふき着替えを済ませた。

 この病院もはや五日目ペースも分り大分慣れてきた、夜もベッド

の周りのカーテンが案外分厚いので看護師さんに聞き11時位まで

イャホーンで聞きますのでテレビ宜しいですかと尋ねると他の方に

迷惑にならない様にとOKを頂いたので九時からの二時間ドラマも

久し振りに最後まで見る事ができことができる。


   ス ト レ ス が 無 く な っ た 様 だ。


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        闘病記録No.45 ・ハードなリハビリも順調 

     CIDP闘病記録2007/11/28(水) 午後 9:13 (投稿日)


        45-0 クチナシ  img_0
            名前は?
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       平成16年4月28日(水)  曇り

     ハードなリハビリ 負けないぞ。


 今日現在の痺れ(麻痺)の状態は、足の方は膝から先が未だ

ダメである、手の方は肘より先が不完全である。

 9時よりOTで昨日と同じメニューで行った。
 
 9時40分よりPTで基本運動(①左を下に横向きに寝て、股関

節から先を伸ばし足を上げるのを10回、反対側も同じくする。②

うつ伏せに寝て両足の膝から下をバタ足の様に足を曲げ上げる

20回。③うつ伏せで足を伸ばしたまま股関節から先を片足づつ

引き上げる片足10回ずつ。④同じくうつ伏せで膝を曲げたまま悲

観説から先を引き上げる左右10回。⑤四つんばいになり左手と

右足を・右手と左足を真直ぐ上げ5秒間各10回。⑥足に重りを乗

せて腹筋10回。これをやるだけで一汗かく)をしてから今日は杖

を突いてkI先生に介助して頂いて病院の階段を一回から三階まで

上がり、廊下を歩きもう一方の階段を下った、もう終わりかと思った

ら今度は横棒手すりのたくさん付いた壁面の前で座ってから、片足

を立てその足の力で手すりを持って立ち上がる左右の足で3会づ

つやった、腹筋・お尻の筋力・腿の筋力・ふくらはぎの筋力が大分

付いてきているので案外軽く出来た様だった。

先生も「よく頑張りましたね」と感心していた。

 よく動きだしたからお腹が空いてご飯が美味しく戴ける様になって

きた。

汗をかいたから昼食後蒸しタオルで身体を拭き着替えをしてテレビ

を見ながら横になっていたら何時しか眠っていた、五時過ぎに妻が

来てくれて目が覚めた。

         平成16年4月29日(木)  晴れ


 OTは前日同様、大分パチンコの玉探しは親指と人差し指中指の

三本で少しは感触が判る様になってきた様だ。

 PTは基本運動と立ち上がりの練習をしてから杖を突き300mの

歩行訓練をした。

 食後天気も良かったから、センター南側のリハビリ運動公園へ未

だ歩いての許可は出ていないので車椅子で見学を兼ねて散歩に

行った。

        平成16年4月30日(金)  晴れ

        順 調 な リ ハ ビ リ 成 果

     
 9時よりOTで何時もの様に入浴練習等と手先感覚の練習を時間

をかけて行った。

 引き続きPTは自分で基本運動をしてから、自転車こぎ血圧を140

に回転数を40に設定して10分間こいだが途中血圧が上がり過ぎ

三度休憩をしなくてはいけなかった、其の後先生に付いて頂き天気

が良いので昨日行った公園まで杖をついて500mほど歩行訓練、

一寸よそ見をすると真っ直ぐ歩けないが何とか歩けた先生は「外へ

出た時は段差とか障害物が有るから常に足元を良く見て歩いてね

」と注意された。

 5時過ぎM先生が病室まで見えて「妻が付いての杖を突いての

歩行でしたら宜しいですよ」との許可をわざわざ言いに来て下さ

った。

 其の後妻が来てくれたので早速其の話しをしたので廊下を通り

ベランダを一周してみた、妻も喜んで涙ぐんでいた。

 夜の九時になって担当の看護師さんが、「先生から指示が有っ

たので私が見守りますので入浴しましよう」と言って来て下さり直

ぐに準備して車椅子で浴室へ行き、看護師さんの指示に従って

一週間ぶりの入浴で大変気持良く教えどおりの入浴が出来て

看護師さんも「Tさん良く出来ました」と冗談を言ってOTの先生

に報告しておきますと言ってくれた。

 未だ麻痺が残っているが全てが順調にこなせていて自分で

も(再発が何時来るかと)心配なくらいだ。  

       今 夜 は ぐ っ す り 眠 れ そ う だ。


CIDP記録NO.42  リハビリ前の休日。 ★ CIDP記録No.43  本格リハビリ再開。 
     CIDP記録NO.42  リハビリ前の休日 

    CIDP闘病記録2007/11/9(金) 午後 2:20 (投稿日)


        42-0夜景の紅葉
           ライトアップで水面に映る紅葉した木

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      平成16年4月24日(土)  晴れ

     360度 の 奈 良 盆 地


 ようやく本格的にリハビリ主体の病院へ転院出来て独り立ちして

歩く希望が現実味をおびてきた事で、安心したのかよく眠れた。

 朝食は7時30分より・昼食12時・夕食18時からであり時間の来

るのを待ちかねて車椅子で食堂へ何時も一番乗りであった。

朝食後、少し風があり肌寒かったが車椅子で始めてベランダへ出

てみた、部屋の窓からは見えなかった景色が見えて、東から桜井

市と高見山・南には橿原市・明日香村・高取町・其の向こうには吉

野の山々、南西には高田市・御所市其の右手に新庄町・牡丹の花

で有名な当麻寺のある当麻町、山々は金剛山・葛城山・二上山、

西にはかぐや姫の里を売り物にしている広陵町・其の向こうには

香芝市と奈良盆地360度全体が見渡せる最高のベランダである。


 午後には長男がテレビと雑誌を持ってきてくれた。

 昼食後は通用口の警備員さんの許可を得て、駐車場と玄関周辺

の満開のサツキと白とピンクのハナミヅキを見に行った、とても

綺麗であった。

 午後4時過ぎ妻が最近食事だけでは足らないと言っていたので

何種類かのお菓子を買って来てくれた。

         早くリハビリを始めたいなアー。


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 CIDP記録No.43 ・ 本格に リハビリ再開

 CIDP闘病記録 2007/11/19(月) 午後 6:00 (投稿日)


43-1 大魔神1     img_0 43-2 大魔神2 img_1
     ICUで意識不明の時もう一つ見た 映 画 『 大 魔 神 』
     (50年余り前の映画の中の石仏が変身した時の物)
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    平成16年4月26日(月)  晴れのち曇り

     今日から本格的にリハビリ再開



 朝九時から先ずは検査から、検尿をし・採血・10:15 心電図・

10:55から CT・11:05から X線その後M先生の問診を受けて

先生より「13:00よりPT(理学療法)・13:40よりOT(作業療法)

を始めます」との言葉あり,私からの希望として先生に「一応三ヶ月

間の治療入院許可を頂いていますが、頑張りますので自立のめど

がつき、後は自宅でのリハビリで出来る様でしたら一ヶ月間位で退

院したいのですが」と言うと、「余り無理せず其の時の様子を見てか

らにしましょう」と仰って頂いた。

 午後1時に理学療法室へ行き順番を待っていると「Tさん、Kiです

今日から貴方の担当ですのでよろしく」と歯切れの良いさっぱりとし

た若い女性の先生で第一印象はOKでした。

初日だったので訓練台で横になり手足を軽く揉んで頂き筋力を確

認されて、今迄の訓練のして来た事を尋ねられ前の病院でやって

来た事を見て頂いた、見ていた先生は「大分よく出来ますね、頑張

られたのですね」と言われて、平行棒の所へ行き軽く棒に触りなが

ら歩いて見せた、その後自転車こぎ、センサーを手に付け三分間こ

いだ、そしてマットに横になり軽くマッサージをして頂き、初日だった

ので其れでPTは終わった。

 引き続き1時40分作業療法室で順番を待っていたら「Tさんの担

当のKuですよろしく」と室内に入り、作業台の部屋・畳の部屋・風

呂場の部屋の説明を受けてからどの程度動くか風呂場で車椅子か

ら立って風呂椅子に座ったり立ったり、畳の部屋でブロックを数個

あちこちに置いてありそれを見つけ出して集める事などをした、Ku

先生は話してみると今年4月よりOTを始められた若い女性で優し

く丁寧に教えて下さり、私はPT・OT共よい先生に恵まれた様だ、

明日からも楽しくリハビリに専念出来そうである。

 病室に戻り休んでいると四時過ぎにM先生が来られ、検査の結果

を教えて頂いた、左肺に影あり・尿少し濁っている・白血球が多い目

・心臓は左の筋力が弱く神経も弱い、との事であった「様子を見なが

らやっていきましょう」と笑顔で出て行かれた。

 その後よろづ相談所病院で3月に同室だった榛原町の散髪屋さん

のYさんが「通りかかったので」とお菓子とジュースを持って見舞いに

寄って下さった「何時もすまんね手ぶらで良いから顔を見せて頂くだ

けでありがたい、本当にありがとう」話好きの彼はいつもニコニコと

色々話をして「早く歩ける様に成ったら一緒にゴルフに行こうよ」と言

って帰って行った、こんな私をわざわざ見舞って頂き有り難い事でる。


・・・・・・感 謝 ・ 感 謝 で 心 が 温 か く な っ た。


CIDP記録No.40 ・ 転院歩いて玄関を出れそう。 ★ CIDP記録No.41・ 転院リハビリセンターへ  
 CIDP記録No.40   転院歩いて玄関を出れそう。 
 
CIDP闘病記録2007/10/18(木) 午後 8:36 (投稿日)

     40-0 ドウダンツツジ 
      色づき始めた、ドゥダンツツジ
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     平成16年4月20日(火)  曇り

 毎朝目覚めて一番に今日も生きている、手は動くかな・足は? 

今日は特に指先の感覚が良い。


 9時30分に歯科へ行き入れ歯の出来上がり、これから3日間で

噛み合せの調整をして戴かなければならない少し忙しいけれども。

其の後松葉杖で病棟内を一往復、大分と上手く歩けるようになった。

今日のリハビリは先週金曜日に妻が買ってきてくれた杖で80mほ

ど歩行し、階段の練習2回といつもの筋力造りの基礎訓練を行った。

 その後又歯科へ噛み合せの調整に車椅子で行った(通常練習以

外の移動はやはり車椅子でないと倒れて骨折でもしてはいけないか

ら先生から禁止されている)。

 リハビリに行っている間に、今は白川のリハビリ病棟へ行っている

Hさん(ICUから戻った時の二人部屋の時の同室だった方)が顔を見

に来てくれていたようだったが会えずに帰られたそうでした、看護師

さんの話ではリハビリをしていてもあまり効果は無く未だ腰から下は

動かないようだと聞かされた、元々病気の原因が違うからHさんは

懸命に頑張っておられるのだけれども、かえって会えなかった事が

私の歩く姿を見せなくて良かったのかも知れない。


HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

     平成16年4月21日(水)  晴れ

 午前中は病棟内を松葉杖で散歩したり、車椅子で公園へ行ったり

一時の時間も無駄にしたくなくて動き回っていた。

 リハビリは基礎運動と、右手の杖一本で80mそれと院内の階段を

片手で手摺を持ちもう一方のは杖で3階から4階を上下した、勿論り

はびりのK先生付添いの上である、本当の階段を上がるのは四ヶ月

ぶりで下りは前に倒れないか、上がりは膝やお尻・筋肉がブルブル

振れる様に思え大変きつく疲れる、まだまだ筋力を頑張ってしっかり

付けないと駄目だ。

 夕食前後は病棟内を松葉杖で散歩、今日は頑張り過ぎか夜には

足の裏のビリビリと異常に痺れまくっていた。


HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

         平成16年4月22日(木) 晴れのち曇り
         
           入院して四ヶ月・ 最 後 の 日



 明日でこの病院ともお別れ、県リハビリセンターへ転院だ。

10時すぎ最後の入浴担当医のN先生の指示で病棟内の普通の風

呂で入浴する事になった、看護師さんのOさん看視の下、自力で杖

で脱衣所へ入り椅子に座って衣類を脱ぎ看護師さんは「何とか自分

で出来そうですね、無理だと思ったら直ぐに赤いボタンを押してねす

ぐ飛んで来るからね」と言って扉を閉めた。

 かかり湯わして慎重に手摺と湯舟の縁を持ち湯舟にゆったりとつ

かった、一度出てから身体を洗いも一度湯舟へ、シャワーをあび、

自分でバスタオルで身体を拭き椅子に座りパンツ・パジャマを着て

無事終了、その間看護師さんは何度か「大丈夫」と尋ねに来てくれ

ていた、風呂場を出てナースセンターのO看護師さんに「無事入浴

終わりました」と報告に行き自室へ戻った。


 リハビリは昨日と同様に行ってリハビリを三ヵ月半私をここまで歩

ける様になるまで、気長に何時も笑顔で励ましながら導いて戴いた

K先生に「今日で最後でしたが、先生にはわがままな私を此処まで

して頂き本当に有り難う御座いました、死ぬまで先生の事は忘れま

せん」と涙目でお礼を申し上げた。

 その後神経検査をし、胸のレントゲンを撮り呼吸器内科の水口部

長先生の診察を受けた(此れは、12年前に肺結核で8ヶ月隔離入院

をしていてその後半年ごとの定期健診です)、次に歯科へ行き最後

の入れ歯の調整をして頂いた。

 夕刻妻が明日の転院の為の荷物の整理に来てくれて、明日8時

30分頃に来るからと言って帰っていった。

 寝る前に、担当医のN先生との「この病院を出て行く時は、玄関を

自分の2本の足で立って歩いて帰ります」約束を守るため、看護師

さんの目を盗んで右手で杖をつき病棟を出てエレベーターと階段

の周りを2周して自室へ戻った、疲れるが何とか歩けそうだ。


 今日は明日出勤されない看護師さんには、名残惜しいがお礼を

申し上げたが、顔を見ることの出来なかった方も何名かおられ心

残りである。

 今日は大変あわただしい一日であった。

 今夜が、この病院最後の夜である、なかなか眠れそうにない。


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    CIDP記録NO.41 ・ 転院・県リハビリセンターへ

  CIDP闘病記録    2007/11/2(金) 午後 2:48 (投稿日)


41-1 柘榴 41-2 柘榴-2
          なつかしい 柘 榴 (ざくろ)

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CIDP記録NO.41 ・ 転院・県リハビリセンターへ

    平成16年4月23日(金)  雨のち曇り

             転    院


   5時30分に目覚めた、今日9時には皆さん親切で心のこもった

看護をして頂いた、この住み慣れた(一寸と変な言い方だけど)病院

を出て行かなければならないのが寂しく感じ名残惜しくてならない。

 8時前に妻と長男が来てくれた、入院費の支払いを済ませて、一

週間分の薬をもらってくれた。

 9時に担当のN先生には「リハビリセンターを退院してからその

後の通院は、又この病院で先生にお願い致します、こんな我が儘な

患者でしたが本当にありがとうございました」とお礼申し上げ、引継

ぎ中で忙しくしていた看護師さん達にも一人一人お礼を申し上げて

から、親しくしていただいた数人の患者さん達にもお礼を申し上げ、

師長さんに玄関は診察の人で一杯だから夜間入り口までお見送り

頂き、息子の車に乗り9時15分に天理よろづ相談所病院(憩いの

家)を後にした。

 9時15分に【奈良県心身障害者リハビリテーションセンター】に

到着 、受付を済ませると看護師さんが玄関ロビーへ迎えに来て

くれて「三階ですので」と三階のNSまで案内して頂き「私がTさん

の担当看護師のTです、病室へどうぞ」と病棟の東端北側の320

号室へ、4人部屋で窓際の左で窓の下は一回からの吹き抜けで

小さな中庭が見え、其の向こうはベランダになっていて何名かの

患者さんが車椅子や杖をついて散歩していた。

 担当医はT先生(女性)でった、体重は51kgと握力(左30kg・

右32kg)を測って現在の状態の問診をして「今日はゆっくりして

ください、明日・明後日は土・日曜日ですので検査は月曜日に行

いますので」と部屋を出て行かれた。

 ステロイドを服用している為、転院が決まった頃から顔は丸々

と(ステロイドの副作用でムーンフェイス、満月の様な顔になる)

なり、リハビリで歩いたり、車椅子で腕力が付いてきて体重も入

院前くらいに回復してきている様である。

 其の後担当の看護師さんに妻と一緒に注意事項や病棟内を

案内して頂いた。

 息子は明日TVをもってきてあげるからと帰っていった、妻は身

の回りの段取をしてから不足しているものをメモして明日持って

来るからと帰って行った。

 ここはリハビリセンターなので同室の患者さんも病気や事故によ

る怪我の人色々である、私は先生の指示により院内は必ず車椅

子で移動して下さいとの事なので、車椅子を自分専用に一台ベッ

ドの傍へおいとも良いとの許可を頂きました。

 食事は病棟の西の端に部屋があり、食卓は四人掛けで4卓あり、

私は今日の昼食からそこで食事をする様に言われた、ほとんどの

患者さんは自室で食堂では6~7名だけであり、エレベーターの前

なので配膳のワゴンが上がってくると看護師さんが我々に一番に

配って下さった。

 食事が終われば食器をそのまま盆ごと近くに置いてある配膳ワ

ゴンに返しておき自室に戻った。

 部屋からは見晴らしも良く左の方から、信貴山・生駒山・奈良の

若草山・奥山・(私の生まれ育った土地の裏山)高峰山・(現在住

んでいる所の東の山)竜王山・三輪山と、王寺町・斑鳩町・大和

郡山市・天理市・手前は田原本町・桜井市三輪方面、周りは田畑

が多く余り高い建物も無く見晴らしも良く心の休まる環境である。
 
 今日はテレビも無いし、こちらの先生の指示が無いからあまり

散歩や動き回れないからうとうとと寝たりして午後は退屈な日で

あった、早くリハビリを再開したい。


CIDP記録No.38・杖で自力歩行訓練。★CIDP記録No.39・転院日決定  
         CIDP記録No.38  杖で自力歩行訓練。 

   CIDP闘病記録  2007/10/1(月) 午後 3:58 (投稿日)


38-1 芙蓉
            芙 蓉
HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH


           平成16年4月9日(金)  晴れ

 とにかく時間が有れば自分から身体の何処でも良い、リハビと決

めて動かし筋力を付ける、今日も午前10時と午後3時に車椅子で

何時もの公園へ自販機でパンを一個買い池の鯉と雀の餌としても

って行った。

 午後のリハビリは何時もの様に箸と基本訓練・平行棒での立ち歩

き・階段の登り・降りどちらも未だ腕力に頼ってしまう、K先生に「早

く杖で歩きたいです」と言うと「其れでは来週からそろそろやってみ

ましょう、土・日しっかりリハビリしといてね」と仰って頂いた。

 今日は妻が来れないと連絡あり、世話部のUさんが三月後半の

請求書(歯科は2,070円と神経内科が89,000円である、検査や

薬も等も少なくなってきたから何十万円も支払わなくても良くなった

のが救いである ) を持ってきてくださって、県リハビリセンターへの

転院は未だ連絡は未だ来ていないとの事であった。


HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH


        平成16年4月10日(土) 晴れ

 今日明日は土・日で看護師さんも少なしリハビリも無し自分で頑張

らなくてはならない、同室のSさんと午前・午後公園へ最後の桜見物

に行った。

 妻は今日は息子の嫁の母親家の引越しの手伝いに大和郡山の方

へ行って来てくれなかった。


HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

        平成16年4月11日 (日) 晴れのち曇り

 朝の体重測定では46.5kg少し増えてきた。

 一日中車椅子であちこち散歩をし、病院の玄関横のバス停で見

知らぬ人だが眼科へ入院している患者さんとむ30分ほど話しをし

たり、手摺の有る所では立って歩く練習をした。

 最近はよくお腹がすくので小遣いが少ないけれどつい買い食いを

してしまっている。


HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

        平成16年4月12日(月) 晴れ

今朝は食後直ぐ大分頭髪が伸びてきたので、地下の散髪屋さんへ

電話をして「今日何時頃でしたら空いていますか」と尋ねると「これか

ら直ぐ来れるのでしたらどうぞ」と言われすぐ地下へ行き散発をして

頂いた。

 9時30分から風呂で久しぶりに看護師さんは呼吸困難になった

時に対処して下さったY・Yさんで「あの時の事を思うと良くここまで

頑張って良くなりましたね」と喜んで頂いた、「みな貴女や看護師

さん達のおかげです、有り難う」介助しながら私の入浴を見守って

頂いた。

 風呂から上がってから、先週歩き出してから股関節と膝が痛かっ

たのでレントゲンを撮って頂いた、結果は夕刻担当のN先生が「特

に悪いところは無い様で余り急激に頑張りすぎですね」と言って来

て下さった。

 リハビリは何時もの様に唯足の重しが1.5kgになった、其の後

は予定通り杖の先が4本になった杖で約25m歩けてリハビリのK

先生にOKを頂けた。

 リハビリ後、車椅子で玄関前を散歩していると、12月この病気に

なった時迄勤めていた会社の社長と隣のおばさんにお会いして迷

惑をお掛けた事を詫びた。


HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

        平成16年4月13日(火) 晴れ
 今日も軽い脳梗塞で3月26日より入院していた大和郡山市のY

さんが退院して行った、入院してから四ヶ月間ちかくの内何名退院

されるのを見送ったとか?昼前3月29日に退院して行った大宇陀

町の理髪店のYさんが奥さんと一緒に診察に見えお菓子とジュウス

を差し入れして頂いた。

今日のリハビリは四本足の杖で50m歩行できた、平行棒でも片手

だけ軽く触るようにして2往復出来る様に成ってきた。

 午後3時過ぎに68病棟の延髄を手術された天理教のMさんがおさ

付けに来てくださった首も大分調子が良さそうで自分の事のように安

心した。

 夕食前に妻が来てくれ其の後長男も顔を見に来てくれ「大分良くな

ったな、一時はどうなる事かと心配したけど良かったな」と安心して

帰っていった。


HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

        平成16年4月14日(水) 雨のち曇り

今日は食後師長さんが見え、4月5日から私の隣の町内から入院し

た、神経から来るのかはっきり分らないが筋力が落ちる病気で同室

向かいのベッドのKさんと2人病棟の一番奥の三人部屋3443号室

へ移って下さいと言われ早々に引越しした、一番奥の部屋は余り手

の掛らない患者か、もう見込みの無い患者が入るようです、私は前

者の方だから間もなく転院できる見通しが付いたからだと自分なり

に安心した。

 午後のリハビリに行くと68病棟のMさんも見えていた、昨日同様

50m四本足の杖で歩いたが右膝が痛み出した。

 病室に戻ると3月9日から3月23日の間脳梗塞で入院していた

榛原町の76才のおじさんが誤嚥して二つ隣りの部屋へ再入院して

来ていた、退院する時は元気に帰っていったのに、今度は声を掛け

てあげても、目を潤ませて何か言いたげに口をパクパクするのが精

一杯に思えた、涙もろくなった私は堪えるのに精一杯で、又来るねと

言って部屋を出た。


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       CIDP記録No.39  転院日決定  

    CIDP闘病記録2007/10/14(日) 午後 7:48 (投稿日)


39-1 金木犀 39-2 金木犀
                           金 木 犀
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           平成16年4月15日(木) 晴れ

            部 長 回 診 で O K


 今日は木曜日、部長回診の日である、S神経内科部長を先頭に神
経内科の先生方・リハビリの先生・師長の案内で十数名が、各病室
一人ずつ順次問診に廻られる。

私の所へ来られ「大分頑張ってるそうですね、一寸立ってみてくれま
すか」と言われ杖を左手に右手でベッドの柵や壁に副え10歩程歩
いた、「うーん、大丈夫だね」と部長はニッコリと笑みを見せられた、
私は「先生方のおかげです、有り難う御座いました」と心の底から
お礼の言葉が出ていた。

 午後のリハビリは基礎訓練と両手に普通の杖を持ち50m程歩い
たが膝が痛くなってきた。

 其の後4時過ぎには神経検査で今日は病室の方へ機械を持ってき
て検査をして戴いた。


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            平成16年4月16日(金) 晴れ

             松 葉 杖 歩 行


 ここ10日間程は二日に一度の割りで大便が出ていて痔のほうは
一向に良くならない。

 午後、リハビリのK先生が「今日から歩行の方は松葉杖でやって
みましょう」と昨日膝が痛くなったから膝への負担を軽減しての訓練
である、リハビリ室を端から端まで2往復したがこの方が大分楽に
歩くことが出来た、K先生は「病棟へ松葉杖を持って帰って病党内
で練習しても良いけれど必ず看護師さんに視てもらって目の届く所
でして下さいね、私師長さんにお願いに行きます」と一緒に病棟ま
で来てくださり師長にお話をして下さった。

 その後、事情部の係りの女性が来られ、県リハビリセンターへの
転院が4月23日に決定し午前10時迄に入って下さいとの知らせ
を持ってきて下さった、いよいよだ後一週間しっかりリハビリをしな
くてはと、この病院を去ることの寂しさと早く歩けるようになるこの
思いが交錯して複雑な気持ちである。

 夕刻妻が頼んでおいていた杖を買って持ってきてくれた、早くこ
の杖一本で歩かなければと思いを新たにした。


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         平成十六年四月十七日(土) 晴れ

           退 院 し て 行 く 人


 朝目覚めると、手・指の感覚が戻りつつある右の人差し指で左手
の手首の脈拍が感じることが出来た。

 10時過ぎ看護師さんに声を掛けて病棟内を松葉杖で一往復した、
看護師さん達は「Tさんすごい、無理しないで頑張って」声を掛けて
くれた。

 11時に豊中市の同じ病気の女性のMさんが「今日これから退院
します、ありがとうございました」と挨拶に来られた、「そう良かっ
たね、あれだけ頑張ったし若いからね、お子さんも待っているから
ね、何かあったらお互いに連絡し合いましょう、おめでとう」と見
送った。

午後は病棟内を2回往復練習をした、膝の調子も良さそうだ。


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         平成16年4月18日(日) 晴れ

            転 院 の 不 安


 今日は日曜日検査もリハビリも無し、マイペースでやらなければ
ならない。

 一昨日決まった4月23日の県リハビリセンター転院の事、これ以
上入院費がかさむのが辛い、センターへは行かずに退院して自宅へ
帰り自力でリハビリをしょうかなぁーとふと考え、10時に妻が来て
くれたので話してみたが、とにかく明日先生と相談する事にした。

 自主リハビリは3回病棟内を松葉杖で30分づつ歩行練習を行っ
た。

 食事前ふと隣の部屋の入院者の名札を見ていて、見覚えのある
名前が有ったので確認のしたくなり声を掛けてみた、やはり私が以
前ゴルフ場で勤務していた時のキャディーさんをしていてくれたM
さんであり、私と同じCIDPで今は血漿交換をやって頂いていると
の事で、私の様に上半身までは麻痺していないようだ「負けたらあ
かんで、俺より軽いんだからこの病院だったら安心して先生に任し
てリハビリしっかり頑張ってね」と声を掛けておいた。


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         平成16年4月19日(月) 曇りのち雨

 9時40分、S看護師さん(名前の通り、よく細々と気が付き、
良く動いて色々助けて戴いた)の入浴介護の当番で、ここまで動け
る様になった私を見て、いつもの人なつっこい明るい笑顔で「ICU」
から戻った時のこと思えばTさんよう頑張りはったから良かったね」
と心から喜んでくれている様だ、私は「本当やったら死んでたのに
Sちゃんのおかげ、ここのみんな優しい看護師さんのおかげや、
ありがとう」とにかく感謝感謝の気持ちでいっぱい、涙を汗でごま
かしていた。

 午後のリハビリは基本練習と、左手で杖を突き一人歩きと階段の
上り下りの練習を行った、なんとか成りそうだ。

 11時30分と午後3時30分に松葉杖で病棟の端から端まで一
往復ずつ自主練習(これまで、リハビリ室でやる時とK先生が病棟
へ来てリハビリをやって戴く時や車椅子の乗り降りが自分で出来な
かった時、それ以外は出来るだけ自発的にの思いで頑張った)。

 夕刻6時担当医のN先生が見えたので先日のリハビリセンター行
きの事を話すと一応3ケ月の予定で申し込んであるので、県リハビ
リセンターへ入院するのは大変難しいから断ると次回お願いしても
入院できないから、せっかくの受け入れ許可が出たのだから行きな
さいと言われ、やはり転院する事にした。


CIDP記録No.35・平行棒で立ち歩き★CIDP記録No36・読書は病気のオカゲ★CIDP記録No37・立ち歩きと痛み。
          CIDP記録No.35  平行棒で立ち歩き。

     CIDP闘病記録  2007/9/2(日) 午後 4:29 (投稿日)


ゴーヤー コスモス
              宅のゴーヤ  と 通勤途中のコスモス 
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            平成16年4月5日(月) 晴れ

         平 行 棒 で 立 ち 歩 き


 月曜木曜は入浴の日今日は10時から入浴看護助士のMさんに風

呂場へ、手の方は大分動く様になったので頭・身体を洗うのは石鹸

を取ったりタオルに付けたり手伝って頂きながらも何とか洗えるよう

になった、衣類の脱着の時や車椅子から入浴用の車椅子への乗り

移りの時の足はねじれたりするが、感触は無いが頭で「足を伸ばす

んだぞ」と考えて足に神経を集中させると、痩せた身体を支えられて

看護師さんの負担を少しは軽減する事が出来る様に成った、私が一

歩前進する度にどの看護師さんや病棟のスタッフの皆さんは「Tさん

すごーい、よう頑張ったね」と励ましてくださる、其の度に頑張ろうと

思うと共に歩ける様になるとこんな優しい看護師さん達と別れて転

院していかなければならない寂しさが頭をよぎる。

午後のリハビリ先ずはお決まりの手先の訓練先ずは箸でのブロック

積み小豆移し、其れが終わると基本のメニュー

①横向きに寝て上になっている足を真っ直ぐ伸ばしたまま太腿より
先を10回上げる(両足) 
②うつ伏せになり下肢を上げる(水泳のバタ足の様) 
③うつ伏せで片足を伸ばしたまま太腿より先を上げる(これは腹筋・
背筋・お尻の筋肉かなりキツイ) 
④上向きに寝てお尻を上げる(ブリッジ) 
⑤上向きに寝腹筋運動、

それぞれ10回以上調子がよければ20回行う、これらが先週より

リハビリのK先生が私の所へ来て下さるまでの間自分で始めて

おく。

 K先生「今日は立って見ましょうか、平行棒の所へ行きましょう」

待ちに待っていたのと本当に立てるか不安が入り混じり「エッは

い」と答えていた。

 両手で平行棒をしっかり握り腕力で立つと言う形は出来た、先ず

腕を前に進め次に足を前に進める恐々ゆっくりと先生は「一歩を床

板一枚つづ(幅30cm)して」と言われ長さ5mの平行棒を2往復出

来たが、足は未だ殆ど麻痺したままなので実際に足が地に着いた

感触はまったく無く、宙に浮いた様で自分の足で歩いた実感はまっ

たくしなかった、しかしK先生は「Tさん頑張ったね、ぼちぼちやりま

しょう、今日はここまでゆっくり休みなさい」と言って頂きリハビリ室

を後にした自信と不安が半々の気持ちであった。

夕刻妻が来てくれたので歩けた話しをすると、薄っすら涙を浮かべ

てくれた。


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       CIDP記録No36  読書は病気のおかげ。 

  CIDP闘病記録2007/9/10(月) 午後 8:48 (投稿日)


コブシ 36-2 コブシ-2
                   こ ぶ し の 実 (種)

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        平成16年4月6日(火) 晴れのち曇り

       本 を 読 む の は 病 気 の 時 ?


 今日は火曜日、院内図書の貸出日46NS前に来てくださるので

借りに行った。

 西村京太郎の『特急由布院の森殺人事件』を借りた。

 3/5頃から4/23転院までに借りて読んだ本は

  西村京太郎 『寝台特急北斗星殺人事件(ロイヤルトレイン) 』
  赤川次郎   『真実の瞬間』
  池波正太郎 『鬼平犯科帳 (22)迷路』
  池波正太郎 『あばれ狼』
  赤川次郎   『明日なき十代・他短編三作』
  西村京太郎 『金沢加賀殺意の旅』
  西村京太郎 『夜の終り』『人探しゲーム』『海の沈黙』
  西村京太郎 『十津川警部の試練』
  西村京太郎 『午後の悪魔』『喜多の女が死んだ』『警官嫌い』
  西村京太郎 『特急由布院の森殺人事件』
  西村京太郎 『松本・美ヶ原殺意の旅』
  西村京太郎 『寝台特急「はやぶさ」の女』
  西村京太郎 『愛と憎しみの高山本線』
    〃     『愛と憎しみの石北本線』
    〃     『愛と孤独の宗谷本線』
    〃     『愛と絶望の奥羽本線』

殆どがサスペンスばかりです、他数冊は恋愛小説でした。

 午後は昨日と同じメニューでリハビリでしたが右膝に少し痛みが

出てきたし疲れ気味で両肩にも痛みが感じられた。
 
 病室に戻ると奈良市の先日退院した、脳梗塞の O・Sさんが通

院され顔を見せて下さって、昨日家の前で躓いて倒れてしまい起き

るのに大変だったと笑って話されていた(怪我も無く元気そうだった

ので安心した)。

 其の後HYさんも白河のリハビリ別院から診察に来られ私の様子

を見に寄ってくださった、彼の病気は脊椎からなので治りか遅れて

いて「未だ腰から下は力が入らない」と気強い人だが何だかすごく

寂しそうであったから、自分は昨日から立って歩く練習をしていると

は言えなかった。

 夕食前には、S部長先生とN担当先生が私の様子を診に来て下さ

いました私は「昨日から平行棒の歩行何とか出来る様になりました、

本当に先生方のおかげで有り難う御座いました」とつい涙ぐんでし

まっていました。


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CIDP記録No37  立ち歩きと痛み。
 
CIDP闘病記録   2007/9/16(日) 午後 4:24 (投稿日)


37-1 マスク
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          平成16年4月7日(水) 晴れ時々曇り

 今朝目覚めると無性に手の痺れが強い、肩も痛む一昨日からの

平行棒の立ち歩きの性だろう。

 朝食後地下の売店へ行き、病室の各自のベッドにはそれぞれ14

インチのTVが備え付けてあり、千円で18時間見られるプリペイド

カードを買ってきた、私の場合は頭が正常だから手が動く様になっ

てからは熱が余り無い時は平均朝1時間半・昼1時間半・夜3時間

位は見てしまう、妻には申し訳ないがつい気分転換のためTVを見

てしまっている。

 午後のリハビリ、平行棒での歩く訓練は腕の力に頼るのを減らし

てやってみた、不安定ではあるが手に頼るのが半分くらいで歩けて

いる様に思えた。

 4時頃に3月30日左側のベットに軽い脳梗塞で入院された柏原

市のSさんが、病院前にある美味しいたこ焼きを買ってきて一パッ

ク下さった久しぶりに食べるたこ焼きの味は何ともい得ない美味し

さであった。
  

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         平成16年4月8日(木) 曇りのち晴れ

 今日も目が覚めるとねこんどは腰と股関節に痛みをじる長い間

立つということを長い間していなかったからリハビリがこたえて来

ている様だ。

午後何時も通りリハビリ歩く訓練だが右膝に痛みが感じられてきた

のでK先生は「今日は此れくらいでやめて起きましょう」と少し早め

に切り上げさせて下さった。

 其の後4回目の入歯作りで歯科へ、次回4月20日で完成との事

でした、早く入れ歯でも良いしっかり噛んで食事を早くしたいものだ。

 4時過ぎに又辛い検査の髄液採取である、担当のM先生と看護師

のM・Tさんが来られ何時もの様に横に寝て背中を丸め動かぬ様に

押さえられ先ずは麻酔の注射、今までは麻痺していたから余り感じ

なかったが今日の注射はどんな注射にも平気な私も「ウゥーウ」とう

なり声が出ていた。


CIDP記録No.33  心を開いてお付き合い。 ★ CIDP記録No.34 自分で出来る事は自分で。
CIDP記録No.33 心を開いてお付き合い。

CIDP闘病記録    2007/8/11(土) 午後 8:09 (投稿日)


オクラの花   四葉のクローバー
               オクラの花 と 四つ葉のクローバー

残暑厳しきおりいかがお過ごしですか。

今夜と明晩は私の町も夏祭りですが

息子は恋人と勝手に遊びに行ってしまったから

私としては寂しいものです。
  
           山の辺のお地蔵さん


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            平成16年4月1日(木)晴れ

       自分が心を開けば、相手も答えて戴ける。


 今日は病院の開所記念日で外来も休み看護師さん達も土日並

の出勤である。

 朝食後少ししてから昨晩の続きで爪きりに挑戦をしてみた、右手

人差し指・中指・薬指・小指と、左手の薬指・小指30分余りかかっ

たが案外綺麗に切ることができた。

  10時過ぎに3月24日から軽い脳梗塞で私の右のベットで入院

されていた、広陵町のO・Kさんが今日の午後退院されるので一緒

に玄関前のベンチで少し日光浴をしてから、何時もの病院東側の

公園へ満開の桜を見に行き彼は運送業を営んでおられ、私に元気

になり車の運転出来る様になったらヘルパーの資格持ってるんだか

ら自分ところで介護タクシーをやってみないかと励ましの言葉をして

くれた、たった一週間のお付き合いなのに有り難い心遣いで嬉しか

った。


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           平成16年4月2日(金) 雨のち晴れ

 今朝は7時すぎ、車椅子で自室の洗面所で歯磨きと洗顔をやって

みた、何とか無事に出来る様になった。

 食後、昨日妻が持って来てくれた四月から新しい国民健康保険証

を一階の事務所へ確認手続きに行き、ついでに地下の売店へ牛乳・

ジュース・コーラ・クッキーなどを買って戻った。

 午後のリハビリは立膝歩き何処にも摑まることなく47歩歩くことが

出来た、手の方は箸で小豆を摘んで移動とブロックの積み上げ四段

積みまで出来る様に成った。

 夕刻には向かい側のベットへ入院していた奈良市のO・Sさんこの

方も70才位の方だが3月19日から脳梗塞で入院されていて、今ま

でこの病院は17回入退院を繰り返しており産婦人科と小児科以外

は皆受診や入院をしたと自慢していた楽しい方で、何時も私と冗談

話をしていたその人も退院していった、私としては寂しい限りである。

 夕食前に六階の脳外科からMさんがおさづけに来て下さってお互

いに励ましあった。


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CIDP記録No.34  自分で出来る事は自分で。

CIDP闘病記録  2007/8/25(土) 午後 8:04 (投稿日)


日日草  看護師のサイン
                   病棟の看護師さんからの寄せ書き

     平成16年4月3日(土) 晴れのちくもり

   今日は調子良い、自分で出来る事自分で。


 朝食後、昨日まで食器を廊下のワゴンへ返すのを看護士さんや、

同室の患者さんの付き添いや見舞いに来ておられる家族の方が気

遣って何時も私のも片付けて頂いていました、ご親切に甘えていた

ので今日からは、自分で車椅子に乗り膝の上にお盆を乗せ廊下の

ワゴンの所へ行き、牛乳パック・その他の残飯があればそれぞれ所

定の入れ物歩入れ、食器類も棚へ返納をした、やれば出来る様に

成れた。


 其の後自室の洗面台で7本しか残ってない歯と舌を歯ブラシで

磨き、顔を洗い終わり、少しベットで休憩をしてから大便をもよおし

たので看護師さんに「一人でトイレへ行ってみます」と連絡をしてト

イレの前まで車椅子で行き、其れからが一仕事腕力だけで手摺に

しがみつきパジヤマのズボンとオシメパンツを片手で下ろし,ようや

く便座に座るねじれた足の位置を戻し一安心、便が出終わるとウ

オシュレットなので少し汚い話しですが、いぼ痔が出ているので手

の感覚が大分戻っているので右手の中指で押し込んでペーパー

でお尻の水分を拭き取り、何とかトイレ終了する事が出来た、15

分程は持つがやはりお尻の近辺の筋肉が未だ回復していないの

でやはり看護師さんに坐薬を入れて頂かないとダメです。


 今日は土曜日なので妻が10時過ぎに来てくれた、昨日頼んでお

いたお茶を入れるマホー瓶を大きいのに変えてもらった今までだと

ペットボトル程度の物しか持ち上げられなかったが大分握力と上腕

の筋肉が付いてきたので、その場でポットに水を満杯に入れてもら

って持ち上げてみた、大丈夫だ妻も喜んでくれていた。

 そして妻と何時もの病院東の公園へ一階裏出口の自販機でパン

を一個買って花見に行き,池のこいに細かくちぎりあげた小さな池だ

が20匹位はてい餌の取り合いであった、風が少し寒かったのです

ぐに部屋へ戻った。


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        平成16年4月4日(日) 曇り

 朝、目が覚めて一番に感じたことは背中・胸・腹・の痺れが幾分

か薄らいでる様に思えた、又手の感じも良い様に思えた。

 日曜なので体重測定、45.5kgになっていた元々病気前で52

~3kgであった、治療中あの細かった時だと37kg位しか無かっ

ただろうと思う。

 今日も昼食後トイレに行ったがお腹は張っているのだが出ない

ので看護師さんにお願いしね浣腸をしてもらってようやく済ませた、

パンツやパジャマをあげる時、腕力だけで体重を支えていたが少

しは足に力が入って立てている様に感じた、でも未だ足には麻痺

が有るのでどうなるかは分からない。


CIDP記録No.31 同じ病気の女性が隣の部屋に。 ★ CIDP記録No.32  また一歩一歩前進。
CIDP記録No.31  同じ病気の女性が隣の部屋に。

CIDP闘病記録    2007/6/17(日) 午前 8:09
(投稿日)

31-1赤 31-2サボテン
         ザクロの花 と サボテンの赤い花

 梅雨に入たが今のところ雨が少ないようですね 

今年は梅雨が短く9月末まで暑いそうです。    

暑さに弱い私にはからこれからが戦いの時期。

       皆さんも暑さ対策して頑張って下さい。

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         平成16年3月29日(月)晴れ

      《若い女性で同じ病気の方がいた》


 朝食が終わった後、リハビリ室へ行った時に何時も見かける、

最近飛び跳ねる様に歩行訓練をしている女性が私の隣の病室の方

であることが分り、今朝は思い切って話しかけた「リハビリ元気に頑

張っているけれど、もし良かったらどんな病気なんですか」彼女は何

時もの明るい笑顔で「CIDPなんです」意外な返事、「私と同じなんで

すね、私は辻井と申します」その後話を聞くと、名前はMさん、26才

で昨年11月男子を出産した後、手足が痺れだし麻痺しかけたので、

お産の影響と思い、大阪の病院で入院したが思わしくな一月半ば過

ぎにこの病院へ転院して来て私と同じ診断だったのか、同じ様な治

療を受けて良くなった様に話された。

 同じ病気でもやはり若いだけあって回復も早く、羨ましく思った、多

分私より早く退院されるだろう「早く良くなってよかったですね。もし宜

しければお互いに住所交換し合って、何か有った時は連絡し合いま

せんか」と申し込むと、快く応じて戴き、名前・住所・電話番号の交換

をさせて戴いた。

 今日はお風呂の日10時からI看護師さんの当番で「Iさんの様なベ

テランさんに体を洗って頂いちゃ勿体ないですよ」と言うと「順番だか

らいいんです気を使わないで下さい」と言って快く入浴させて下さっ

た、やはり出る言葉は「ありがとう」この言葉しかない。

 風呂から部屋に帰ると妻が来ていてくれて「バイト辞める事にした」

と言った、私には何も言えないし言う資格が無い。

 その後、神経の検査で妻も検査室へ付いて来てくれた、少しづつ

良くなって来ているせいか通電の端子の当たる所がビリビリと痛く

感じられる様になった、技師の先生に尋ねると「少しづつ良くなって

来てますね」と言う事であった。

 午後はリハビリ、足の重りも1.5kgにされ、蹴り上げ・引き上げ各

15回づつ、立膝あるき前後・左右と、腹筋運動、その後膝を固定し

て足首の上げ伸ばし、K先生は「大分動くように成ってきたね」と言

って頂けた、「やはりK先生の指導のお陰です、あがとうございます」

と心より感謝の言葉が自然と出ていた。

 その晩10時過ぎ薬を飲んだ後動いた時どこかへ頭をぶつけたの

か痛くてたまらなかった、後で看護師さんに聞いたら、みかんを食べ

たのち後ろへ倒れてベッドの上の柵へ頭をぶつけたのだと笑ってし

まわれた。


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    CIDP記録No.32 一歩一歩前進。 

CIDP闘病記録   2007/7/30(月) 午後 6:16 (投稿日)


バラ
        自宅のバラとカンナ

梅雨も空け大分気分も落ち着いてきました、もう早や八月

又そろそろと三年前の闘病日記を続けます。

             宜しくお願い致します。


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       平成16年3月30日(火) 曇り/雨

         一 歩 一 歩 前 進


 今日で入院100日目である。相変わらず目が覚めた時から頭が

重い、未だ氷枕をやめることは出来ない日々が続く。

 10時に車椅子で散歩、本を借りに行った読みたい推理小説は無

くて何時もの公園へ桜を身に行った。

 午後1:20よりリハビリ、最初にボルトにナットを取り付けるのとナ

ットを積み上げる手の訓練をし、その後立膝歩き、前進・後退、腹筋

・尻の筋力・横向きでの足の引き上げ・うつ伏せでの足上げ・足首に

1.5kgの重りを付けての蹴り上げと引き上げを各15回大分筋力が

付いてきた様に思う、Kリハビリの先生も「もう少ししたら立つて歩く

練習をしましょうか」と笑顔で仰って戴けた。

 夕食は初めてスプーンを止めて割り箸で食べてみた、何とか全部

食べる事が出来た、又一つ前進である。

 それともう一つ、S看護師さんに「10時寝る時に飲む睡眠薬を中

止してみます」相談して先生の了解の下辞めて眠ったが、やはり

1時間おきに目が覚めて熟睡する事が出来なかった、でもでも入院

しているのだから眠ければ何時でも寝れるのだから何時までも睡眠

薬に頼らない様に頑張る事にした。


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     平成16年3月31日(水) 曇り/晴れ
       
     自 分 で 爪 切 り 出 来 た


 10時にトイレに行き大便をしょうとしたが出なかった、やはり未だ

浣腸の力を借りないと駄目かもと思ったが、今日はそのままにして

本当に我慢できなくなるまで待つ事にした。

 その後前に借りていた本を読み終わったので返却箱へ返しに行

き5階の休憩所へ行って見知らぬ患者さん達と雑談をした。

 リハビリは小豆の箸での挟み移動、立膝歩き今日は身体全体に

力が入る様に思えた。

夕食後、自分で手の爪切りを試みてみた、左手の親指・人差し指・

中指、右手の親指この四本の指の爪が切れた、又一つ前進。


CIDP記録No.28 リハビリ頑張る★CIDP記録No.29 刻み食・車椅子で公園散歩★CIDP記録No.30  よくここ迄回復したものだ。
   CIDP記録No.28 リハビリ頑張るぞ。

   CIDP闘病記録    2007/5/20(日) 午後 5:55 (投稿日)

雪の下  バラ
             雪の下              今年一番に咲いた、自宅のバラです。

一寸ここ2週間ほどなぜか分らないが精神的に落ち込ん
でいる、せっかく伸ばして戴いた寿命なのに「もう生きてた
って楽しみは無いし、この辺で終わりにしてもいいかって」
ついつまらない事を思っては、それでは私を生かして下さ
った方々に誠に申し訳ないと、こんな日々が続いています。

             そんな自分が情けなく思う。


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      平成16年3月25日(木) 曇り/雨

          リハビリ頑張らなくっちゃ


 今日も憂鬱な天気で午前中は前日同様である、でも木曜日は

お風呂に入れて頂けるので少し熱はあるがさっぱりした。

 午後はリハビリで、作業台をセットして頂き後は自分で進んでや

る、手の訓練箸でサイコロおはじきの積み上げ、もし左手が駄目に

なった時の事を思い左手でもやってみたら出来る、元々以前から

左手で食事くらいは出来たし、ゴルフだって右ほど飛ばないがそこ

そこ飛んでいたからクラブも7番アイアンを持っていた、痺れは残っ

ているが手首から先はほぼ動くと思う。

その後は訓練台に上がり、膝立ち歩き・横に寝て上側の足を伸ばし

たまま上げる片方づつ10回、次に台に腰掛けて足首に10kgの重り

を付け太ももの筋肉で引き上げ左右20回・膝から下の蹴り上げ20

回疲れる必死であった、此れによりお尻と太ももの前後の筋肉力を

付ける為だとK先生に 「頑張って」と励まされ1時間はすぐ過ぎてし

まった。

 病室へ戻ると便がしたくなりN・Kかんごしさんにお願いしトイレに

行ったがやはり浣腸をしないと出なかった、其の後看護師さんはこ

れからはトイレ行った時おしめでは上げ下げが大変だからパンツ式

のおむつにした方が良いのでとNSにあったのを3枚ほど頂いた。

16時頃68病棟のもMさんが来られ「首のギブスは辛いですわ」と言

いながらも元気そうな笑顔で何時もの様に「おさづけ」をして頂き戻ら

れた。

 夕食前に妻が来てくれて、会計へ歯科の支払いを済ませてくれ、

転院は4月20日過ぎで入院できる事の連絡が奈良県リハビリセン

ターよりあった事を聴いて来てくれた、「後一ヶ月ほど頑張って松葉

杖でも良いから自分の足で立ちたい」と妻と話し合った、それとパン

ツ式のおしめを買ってきてもらうのを頼み、食事が済んでから妻は

帰っていった。

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    CIDP記録No.29 刻み食・車椅子での公園散歩

  CIDP闘病記録  2007/5/30(水) 午後 6:12 (投稿日)


雪下-2
《参考》ユキノシタ科の多年草。山中の湿った岩や崖に自生し、
観賞用に栽培もされる。全体に細毛が密生する。根葉は柄が
あり、肉質の腎円形で浅裂、裏面は紫赤色または白緑色。
初夏、茎頂に白色の小花が多数円錐状につく。葉腋(ようえき)
から糸状の匐枝(ふくし)を出して、先端に新苗をつくる。葉は民
間薬として、腫(は)れ物・凍傷・火傷(やけど)・咳(せき)などに
用いる。

早や6月、梅雨の時期になり私には心身共に憂鬱な時期で
ある。
こんな時だからこそ逆に明るい事を探して気分転換をしなく
てはならない。
皆さんの明るいブログを訪問させて頂いて元気を分けてもら
う事にしていきます。

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        平成16年3月27日(土) 晴れ

          ミキサー食からきざみ食


 昨日お願いしておいたので朝食より、おかずがミキサー食からきざ
み食に変わった。

今までは、どの食材も味付け調理されたものをミキサーにかけた、
見ただけでは一体どれがほうれん草・キャベツ・白菜・人参・トマトか
、魚も鰯・秋刀魚・鯖・アジ・なのか、牛肉・豚肉・鶏肉か、唯色により
判断して毎週の献立表を見ながらああ此れが肉じゃがか、鯖の煮付
けかひと口、口に入れて始めて分る状態で何となく味気ない食事で
あったが、今日からは小さく刻んであるが一目見て何であるか判断
できるし、今の処上の歯は一本も無いので歯ぐきででも何十回も噛
しめて食べる、約3ケ月間食べたという実感がなく久々に本当に食事
をしたという嬉しさで美味しくいただけた。
 
 今日は暖かそうなので、一人で車椅子での散歩を小と思い看護師
さんに「散歩しに公園迄行けたら、行ってきていいですか」と尋ねた
ら「一人で行ける、無理しないでね」と膝にバスタオルと膝掛けで足
を包んでもらって、先ずは1階の夜間出入り口の前の日当たりの良
い所で日光浴をしていたが、思い切って(よし公園へ行ってみよう)と
思い病棟東にある小公園へ向かう事にした。
 公園へ行くには2ケ所急な登り坂があり、最初の坂は車の通行があ
るので後ろに気を配りながら真っ直ぐには今の自分の腕力では車手
すは上れないから、いろは坂の様にジグザクに道一杯に右・左と
6回ターンを繰り返し登れた、そこから40mは平たんで公園の入口
に15m程の登り坂先のよりは幾分か緩やかだが、先ほどと同じ方
法で登り始めると通りかがりの女性が「押しましょうか」と親切に仰っ
て頂いたが「ありがとう何とか自分で頑張ります、これもリハビリで
すので」とお断りし一汗かきながら無事登れた、(健康ならば何んと
も無い道なのに、歩けない者にとってはと思い改めて車椅子での障
害者の苦労が解かった)

 公園では桜のつぼみもピンク色になり今にも咲きそうであったぐ
るっと一回りした、浅い池にはコイが十数匹放たれていて看護師
さんに押してもらった車椅子のおばさんが覗き込んでいた、今度
来る時は何かコイの餌を持ってきてあげようと思い戻った。
 帰りがけに一階の外来の薬の受け取る待合所を見に行った、今日
は土曜日なので閑散としていた、そして何時もの5階の見晴らしの良
い休憩所で20分程居て病室へ戻った。

 ベッドで横になっていたが、車椅子のこぎ過ぎか使っていない筋肉
を無理に使ったのか、わき腹から背中にかけて痛むので看護師さん
にお願いしてシップを三枚も貼って頂いた。

 昼食後トイレに行きたくなり看護師さんの手の空くのを待ってトイレ
へ連れて行ってもらい、今日は左手で手摺をしっかり握り右手でパ
ンツ式のオシメを下げ便座に座ったがやはり浣腸をして頂かないと
出なかった。
 夕食後は、今日はリハビリが無かったから自分でベッドの上で出
来る範囲のリハビリをした。

(昨日・今日と同室のkさんの看護に来ている奥さんが他の方の見
舞いに来ている見知りのおばさんとかん高い声で話されるのには
熱っぽい頭と耳の中では相変わらず蝉が鳴いている私には心の中
で「やかましい、うるさい、外へ出てしゃべって」と叫びたい思いで
あった)


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CIDP記録No.30  よくここ迄回復したものだ。

CIDP闘病記録    2007/6/10(日) 午後 3:09 (投稿日)


30-1黄色 30-2黄色
 6 月 も 半 ば 憂 鬱 な 天 候 の 毎 日、流 石 の 

    私 も 精 神 的 に 参 っ て い ま す。

特 に 楽 し み も 無 く 、 食 べ る 為 ・

          生 き て く 為 ・ 借 金 を 返 す 為、

ア ル バ イ ト を し て る 時 だ け 何 も か も 

忘 れ て い る、そ ん な 毎 日 を 送 っ て い ま す。


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    平成16年3月28日(日)晴れ

      よくここ迄回復したものだ。



 今朝は体重を入院後始めて量って頂いた、何と約45kgであった、

と言うことは今では大分筋肉が付いてきているので此れくらいかなと

思うが、1・2月のちり紙一枚持てなかった時は多分35~37kgだっ

たと思われる。

あの時期は、自分の手足がミイラ同然の関節だけがやけに目立ち、

よくTVや写真で見るアフリカの飢餓の子供達の様にガリガリだった、

手の平だって、どの指も筋肉は無くペチャンコで骨が透けて見え、も

うこれで自分は終わりと思っていた。(もともと私は子供の頃から自分

の人生は55才で終わりと思って生きてきたから)自分でもよくここ迄

回復してきたものだと、改めて家族・医師・看護師さん始色々ご心配

お掛けした皆さんに感謝の気持ちで一杯である。

十時半から何時もの様に玄関横のタクシー乗り場と五階の休憩所で

日光浴をして部屋へ戻ると、妻さよ子が来てくれていて、今までアル

バイトで仕事に行っていてくれていたが、仕事が辛そうで「今の所辞

めて他の仕事探す」と言った、私には余り無理して身体を壊されたら

大変だし、それこそ一家心中でもしなければならない、今の私には

何も言う資格は無い「まあねあまり無理せずゆっくり考えて、自分に

合った事をして」としか言えなかった。

未だに昼間は頭が重く熱もあり身体全体がだるく氷枕を常にしてい

ないと駄目な状態である。


CIDP記録No.26 転院の為の診察へ ★ CIDP記録No.27 若さには勝てない。
CIDP記録No.26 転院の為の診察へ

CIDP闘病記録   2007/5/6(日) 午後 10:45 (投稿日)

青垣山 崇神天皇陵
                      町内と"青垣山"と崇神天皇陵

ゴールデンウイークも終わり皆さんは何処かへ遊びに出

かけられましたか、私は3回の勤務と後は家でパソコンし

たり、物干し台の菜園での土いじりしただけ、最近は一寸

気分的に落ち込みがちである。


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(2004)平成十六年三月二十三日(火)

       田原本へ転院審査の診察


 妻が8:00過ぎに準備に来てくれて、9:00に夜間用の出入り口
へよろづ相談所・世話部の方が呼んでおいて下さった車椅子ごと
乗れる介護タクシーが待っていてくれた。

 久々の街中の景色と空気、二度と見れないと思っていた懐かしい
天理の町並み、R25号からR24号と田原本町へ見慣れた景色も
新鮮に見えて左右前後とキョロキョロしどうしであった。

 約1時間30分で『奈良県心身障害者リハビリティションセンター』
へ到着。

 思っていたより綺麗で混雑していなく静かで、廊下も広く落ち着い
た感じでリハビリするには最適の病院であった。

 妻が受付でよろず相談所病院よりの書類を提出して手続きを済ま
せてくれて、診察室の前の待合で「こんな良い施設で私の様な未だ
立つ事も出来ない者を受け入れて頂けるのか」妻と話しながら不安
に駆られて待っていた。

 10時20分看護師さんに呼ばれて診察室へM先生が人当たりの
優しい感じの良い好感の持てる先生で先ずは一安心、紹介の書類
を見ながら問診をされ、「それでは平行棒の前に行って下さい」と言
われ立った事も無いのに「一度立ってみてください」と言われ(何とし
ても立たなくては、此処へは入れて頂けない)と思い、両腕に渾身の
力を込めて立ち上がった未だふらつくが、腕に八分足に二分位で立
つと言うより平行棒に頼っていた、そこでM先生は「歩いてみて下さ
い」と言われビックリした(ここで一歩でも前へ足を進めねばと思い)、
腹筋に神経を集中して先ずは右足を20cmそして左足続いて右足
腕がきつい、「はい、結構です」と言われ先生はにっこりとしてうなず
かれた。

 M先生は書類を見ながら「うーん、今のところ25人待ちなので早
くて約1ケ月先になりますが、審査が通れば転院して頂けるでしょう
」とおっしゃって頂けた、「決まりましたら憩いの家の方へ連絡いた
しますから」と言う事で、ホッとして診察室を出た、妻と「M先生の様
子では何とか入院させて頂けそうだな」と半々の気持ちで支払いを
済ませ迎えの介護タクシーを待った。

 帰りの車はお願いして桜井市の箸中を通ってもらい、R165号を
北上自宅の在る柳本町を通った、景行天皇陵・崇神天皇陵・行きつ
けのガソリンスタンドの右を見ると自宅の屋根と物干しが見え(一日
も早く帰りたい)、桜は未だ咲いていないが御陵まえの田の菜の花
は黄色い絨毯の様に満開であり、自然と涙が溢れてきた。

 1時に病室に戻り、妻は売店でパンと牛乳を買い私は病院食を一
緒に食べた、これであとは転院がOKならばあと1ケ月で何とか車椅
子でなく、自分の足で立ち松葉杖でも良いから歩ける様に頑張らな
くてはならない。

 妻も一安心し帰っていった、其のあと最近左隣のベッドへ入ってい
た理容師のYさんに友人で話の内容ではゴルフ友達らしかったので
つい私もその話の中へ入れてもらっていた、Yさんは「元気になった
ら三人でゴルフ一緒に廻りましょう」と励ましてくださった。

 今日のリハビリは、K先生が夜9時に病室へ来てくださり、「自力で
の車椅子の最後の乗り移りの練習をしましょう」と先ず気を付ける事
として①車椅子とベッドの高さの確認、②ブレーキが掛っているか、
車椅子の位置の確認む、③移る前にベッドと車椅子の手の置く位置
を確認、④足の位置左右ねじれない様に考えて足の置く位置を確認
⑤お尻の位置、深く座る、以上を常に注意して移動時は必ず看護師
さんの看視の下で行う事を守って乗り降りをして下さいとの指示で、
練習を8回行って<ようやくK先生の正式の車椅子乗り移りのOKを
頂いた。

 K先生に「遅くまでありがとう御座いました」とお礼を申し上げた、
先生は「今夜は泊まりだから」と戻って行かれた。


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    CIDP記録No.27 若さには勝てない。

   CIDP闘病記録     2007/5/15(火) 午後 5:55 (投稿日)

紫蘭・シラン 色々
                "紫蘭・(シラン)"と隣家の花々
 今日5月15日は書きたくないが60数回の

  誕生日、もうこの年になってくると誕生日は

   天国への一里塚と思え寂しさが募るばかり

    でせっかく言って頂く「おめでとう」の言葉も

     気持ちよく受け取れないのは私だけの僻みなのか。


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      平成16年3月24日(木)  曇り/雨

          若いって事は良いもんだ


 今日も朝から頭が重い・熱が高い・手の痺れがきつく、少し動かす

だけで全身に痛みが走る、喉は痰が絡み辛い、氷枕を替えて頂き

両脇にアイスのンを挟んでもらい午前中はダウンであった。

 昨日の転院診察に行ったのが堪えたのだろうか、余り興奮し過ぎ

たのかも知れない、天候により左右されているようだ。

 午後何時もの様にリハビリ室へ、箸使いと車椅子乗り降りは完璧

に近く出来るようになった。

 先週くらいからリハビ室へ行って気になっている事が在る、それは

20歳代の綺麗な女性で歩行訓練をやっている人で、初めのうちは

自転車こぎ、そのうち平行棒での練習、日に日に目に見えて進歩し

ていてここ数日は杖を持ちながらも歩くというより部屋の端から入口

まで笑いながら跳ぶ様に走っている、驚いてどうしてあんなに走れる

のか、倒れはしないかと見入っていた。

リハビリのK先生は「貴方ももう少ししたら出来ますよ」と言ってくださ

ったが、私は未だ膝立ち歩きと正座が精一杯な状態でありとてもとて

もと思えた。


CIDP記録No.24・・友人の死、寂しい。 ★ CIDP記録No.25・・・明日転院診察心配だ。
  CIDP記録No.24・・友人の死、寂しい

   2007/4/21(土) 午後 4:03 (投稿日)
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我が家の坪庭
        我が家の物干&坪庭 
トマト・ミニトマト・20日大根・赤かぶ・甘唐・そら豆・えんどう豆・三度豆
物干しの下には、きゅうり・ゴーヤ


  私の書庫は堅苦しい話しだけれど、人間は自分で言うのは 

    可笑しいけれど 本名に『汎』と言う字が付き、広く・何にでも

      対応するいたって気さくな、 おじさんですから、病気以外の

       コメントでも入れて頂ければお話しします。

       皆 さ ん 宜 し  く お 願 い 致 し ま す

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    平成16年3月21日(日)  天候(曇りのち晴れ)

        友 人 の 死 知 る
  

 朝から天候のせいか頭ががんガンガン痛い、朝忙しいのに看護師

さんに氷枕を入れ替えて頂くとじっとする。

 今日も日曜日で一日が長い、11時に妻が来てくれたので爪を切っ

てもらったが、切る度に指が麻痺している性かものすごく深爪をして

いる様で頭の先まで痛みが走る、我慢して手の爪を切って次に足を

やりかけてもらったが、筋肉が萎縮している性で親指と小指が内側

に曲がって外反母趾のきつい状態に成っていて、妻が触るだけで全

身に痛みが走る、そこへ森継主任が通りかかられたので「主任お願

い・助けて、申し訳ないんだけど足の爪切って」とお願いすると笑顔

で快く「何甘えてんの、しょうがないな」と言いながら両足の爪をきれ

いに切っていただいた。


 午後は退屈で2時前に看護師さん看視の下に自力で車椅子に乗り

移る事が出来て看護師さんに「一寸院内を散歩してきます」と言って

5階の展望の良い休憩所へ30分程日光浴に行ってぼんやりと町並

みを眺めていた、戻りかけに急に誰か友達の声が聞きたくなり、年

賀状で転宅したと書いてきていた、今は東大阪市に住んでいる中学

の同窓生の女性のHさんに電話をしてみた、一度同窓会であったき

りなので約35年ぶりである、声はちっとも変わっていない直ぐポッチ

ャリとした顔が浮かび、ゆったりとした話し口調は変わっていない。


 彼女は2歳年上の田舎に居た時の隣の男性(この男性は僕達小学

生の頃、気の優しい男前の人でヘイちゃんといって、よく遊んだ方で

したと結婚していたんだけれど8年前に53歳で亡くなられていたとい

事でした、何も知らなくて電話して申し訳なく、悲しかった。


 又 同級生のN君も数年前に亡くなっている事を知らされた。


  知 人 の 死、涙 が あ ふ れ 出 て た ま ら な く 寂 し い。

   人 生 ・ 生 命 ・ 寿 命 ・ 虚 し さ を 感 じ る。

     次 は 自 分 の 番 か も 知 れ な い


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   CIDP記録No.25・・・明日転院診察心配だ。

   2007/4/30(月) 午後 5:18 (投稿日)


先端大中庭1 先端大2
写真  奈良先端科学技術大学院大学の 池 ・ さつき

早や五月、皆さんゴールデンウィークはいかがお過ごしですか ?

私は勤務は在るが、暇も有り、しかし予算なしで休みの日は

家でパソコン・TVそれと箱庭での菜園・花作り。

ここ6年間ほどは日帰り旅行一つ行った事も無い、折角伸ばして

戴いた命何か楽しんで於かないと神様に申し訳がない。



一 度 パ ー ッ と 遊 び に 行 き た い で す。
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    (2004)平成16年3月22日(月)

      明日の転院診察が心配


 朝食後いつもの様に、全身の痺れがきつく頭も重い、氷枕を替えて

頂き目をつむり少し眠った。

 11時20分ベテラン看護師のIさんに風呂へ入れて頂いた、「ベテラ

ンのⅠさんに洗ってもらっちゃ勿体ないですね」と言ったが、いつ迄も

看護師さんに手数をお掛けするのは心苦しく申し訳ない、ありがとう

感謝・感謝の毎日である。

 午後1時半よりはリハビリ、車椅子の移動は何とか腕力が付いたの

で自力で出来る様になり、正座は枕を挟まなくてもお尻にかかとが着

き痛みも感じなく座れる様になりました。

 でも麻痺と痺れはきつく最近では今まで痛みなどで気になって意識

はしていなかったが耳鳴りも続きっぱなしで辛い毎日である。

 今日も午後4時30分にMさんが天理教の『おさづけ』に来て下さっ

た、大分元気になられ今日もお嬢さんと一緒で何時もの様に「あんた

のお陰でこんなに元気を貰った」と感謝の言葉を戴いた。(Mさんのお

嬢さんは此の病院の付属看護学校を今回卒業され4月よりこの病院

で勤務されるそうです) 夕刻病院の世話部の女性でUさんが、明日

の奈良県身障者リハビリセンターへの診察の打ち合わせと確認に来

てくださった、あちらで現状の問診と診察があり、その結果実際に受

け入れて頂けるのか、何時転院出来るのか、又は断られる可能性も

あるから心配でしょうがない、でも其れは成り行き次第それが私の運

命でもある、これが運を天に任すという事くよくよしたって致し方ない、

明日外へ出られる事を楽しみにしていよう。


CIDP記録No.22・・落ち込み。 ★ CIDP記録No.23・トイレへ行けた。孫の笑顔が見れた。
写真上  自宅から150m北に在る『長岳寺』池の向こうに左が鐘楼門・右が本堂これは寺の一部分です。
22-1
春真っ盛り自宅には山吹が黄金の花を咲かせています。
22-2

   CIDP記録No.22・・落ち込み。

   2007/4/10(火) 午後 2:03(投稿日)

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        (2004)平成16年3月19日(金)

         まだ熱が下がらない。

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 目がさめて最初に思う事、今日も生きていて良かった。
手は動くかな、グー・パー・グー・パーで始まる、相変わらず痺れがきつい歯が無いから、歯をくいしばってとは行かず「ウーン」と
うなり声をかみ殺しての我慢の始まりである。

 10時30分頃に車椅子を持ってきてもらい乗り移り、せめて地下の売店へ行く事にした、私達の乗るエレベーターは5基あり看護師さん達がワゴンなど運ぶ大きいのに乗らせてもらい地下へと下りた、売店は昔と余り変わっていなかった一通り見て回ったが何を見ても欲しい物ばかり、でも無駄金が無いからエレベーター横の自販機でパックの牛乳とアクエリアスを買って戻った。

 午後はいつもの様にリハビリで手の訓練、続いて基本の運動をして四つんばいでの右手と左膝たち、逆の左手と右膝立ちの習
今日は上手く出来ない、熱があり頭がふらつく、K先生は30分だったが「今日はこれくらいにときましょう」と看護師さんに迎えの電話をして頂きベッドへ戻り氷枕を取替えて頂き、少し眠った。

こんな日はつい落ち込んでしまって悪い方へと考えがいってしまう。

 つ い 涙 が 溢 れ て く る 、年 の せ い か な ? ?

  頑 張 ら な く っ ち ゃ 自 分 に 喝 を 入 れ る。

         握力   右11Kg  ・左15Kg


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23-1
写真  私の住んでる町内、右の森が崇神天皇陵 ・ 町内を山の辺の道が通っています。

    CIDP記録No.23・トイレへ行けた。孫の笑顔が見れた。

      CIDP闘病記録   2007/4/17(火) 午後 4:32(投稿日)
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(2004)平成16年3月20日(土)

   今 日 は 初 ト イ レ

 今日は土曜日、土・日は看護師さんの出勤の少ない日である。
九時四十五分、看護師のY・yさん「今日はトイレへ行って便をしてみようか」と言われ何時までも看護師さんに迷惑を掛けるのも心苦しいから、思い切って「頑張ってみます」と始めてのトイレ挑戦する事にしました。

 車椅子に乗り移りY・yさんに付いてもらい車椅子を便座のすぐ横へ着けてもらった、手摺りは便座の前に腰位の高さに横に一本と、左側に逆L字型が一本付いています。

腕を伸ばし両手で前の手摺に摑まって車椅子から便座の方へ移り、右手で前の手摺左手で左の縦になった手摺に持ち変えて、足には力が入らないから両腕に神経を集中してお知りを持ち上げ、中腰になりパジャマとオシメを下げてもらい便座に座ったが手摺をしっかり力一杯掴んでいないと体が倒れるので、お腹に力が入らず便が出ているのか実感が無いから判らない十五分余り座っていたが手が疲れてきて腕の感覚が無くなってきたので赤いブザーのボタンを押した、看護師さんが直ぐ来て下さって、「ウンチ出たように思わないんですが」と言うと「よく出てますよ、お茶碗一杯以上ぐらいは」と言ってウォシュレットなので洗い、も一度気合を入れて中腰になりお尻を拭き「今、痔の薬入れときますね、一寸待っていてね」と言って痔の薬を取りに行きお尻に入れて貰いオシメとパジャマを上げて頂きベッドへ戻った、とにかく足にもっと力が付かないとトイレもひと仕事である。   アーァー疲れたである

10時過ぎ、長男と嫁と孫のリサコそれと嫁のお母さんが見舞ってくれた。

 孫のリサコは最初けげんそうな顔をして今にも泣き出しそうな様子であったので紙パックの小さなジュースを上げるとにったりと笑顔になってくれた、「1月11日の1才の誕生日に病気急変し、誕生日祝うどころか大変な一日にしてしまいごめんね」と皆に謝り1時間くらい居てくれて帰っていった。

 食事後2時過ぎに車椅子に乗り5階の日当たりの良い休憩所へ行き町並み越しに見える自宅の東の竜王山が綺麗に見えた、二人部屋の時一緒だったHさんと、病棟入口右部屋の奈良市のNさんが奥さんと来られ一緒に外を見20分ほど底に居た。(Nさんは、余り詳しい事は聞いていないが、同じ様な病気で脊髄の神経が駄目になり、全身麻痺で足も曲がらず特別の直立した状態で乗れる車椅子に乗っておられる、此方の話しは分る様だが話されることは無い私が話せば涙をうかべ何か言いたげに口元が動くだけである) Nさんの事を思えば私は良い方で幸せと思わなくてはいけない。

其の後Mさんの顔を見る為に六階へ上がり部屋へ行った、思ったより元気で首はギブスで固定され辛そうであったが、10分ほど話し帰りがけに天理教の「おさづけ」をして頂き、何時も私の顔を見ると「あんたの明るく話しかけて、頑張っているお陰で、私も頑張れるありがとう」と感謝の言葉を戴く。

 夕食後、疲れ気味か相変わらず熱が出て頭も重く、右目の奥が痛い氷枕を替えて頂きテレビを見て横になった。

CIDP記録No.20・・麻痺と戦うリハビリ ★  CIDP記録No.21・・皆さんありがとう。
zizou.gif
    CIDP記録No.20・・麻痺と戦うリハビリ

   CIDP闘病記録   2007/3/25(日) 午後 7:48 (投稿日)

  3 月 も 終 わ り 白 い こ ぶ し の 花 が 咲 き。

桜 の つ ぼ み も い つ 開 こ う か と 春 を 待 ち 

望 ん で い ま す。

皆 様 方 の お 住 ま い の 所 は 如 何 で す か。


           心 弾 む 春 

       木 々 が 芽 生 え る 春

 虫 や 小 さ な 生 き 物 が 動 き 出 す 春

      心 か ら 暖 か く な る 春

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(2004)平成 16年 3月 17日(木)           

      痺 れ ・ 熱 ・ 耳 鳴 り

 看護師さんや同室の患者さん達と話したりして気がまぎれている時は良いのだが1人でじっとしていると高熱のせいか耳の中でミンミン蝉が常に鳴き止まない。

 体を動かした時、動かしてもらった時には、相変わらず全身が痺れの痛さでうなり声を上げるのを抑えて我慢をしなければならない、こんな辛さが何時まで続くのか、生きている限り付き合っていかなければ生けないのか、昨晩は涙が止まらなかった。

 今日は9時過ぎから神経検査、少し動く手の検査の時は電極の当たる所がビリビリと痛い、少しづつ良い方向へ向いているのだから我慢・我慢、一時間掛った。

 3月12日同室だったMさんが首の処の延髄を手術されたので一度お顔を見にと68病棟脳外科へ行ってみたが、処置中で会えなかった、だが夕食前にお嬢さんと車椅子で会いに来てくださいました。

午後のリハビリは、四つんばいになり両膝で立つ練習少しふらつくが10秒くらい立てた、それと右手・左足上げる逆に左手・右足をあげる練習を始めた。

 自室に戻り自分で足のリハビリ、足に神経を集中し膝・足首と動かそうとするが上手くいかない、其の内如何した時だか足首がピクッと動いた、何度化しているとわずかだが集中すると、かすかに動いた、食事前担当のN先生が顔を見せられたので早速動くところを見てもらった、喜んで頂けた。

 消灯後、ベットの柵を持ちながら立膝と正座の練習をしてみた、何とか立膝は1分位出来た、正座は何とか出来るが膝関節か硬いのか痛くて長く出来ない、看護師さんが来て「無理せずに、お休みなさい」と去っていった。

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         C I D P 記 録 No .21 ・・皆 さ ん あ り が と う。

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      CIDP闘病記録     2007/4/3(火) 午後 2:16(投稿日)
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        (2004)平成16年3月18日(木)
          
         迷惑掛けっぱなしで皆さんありがとう

 毎週木曜日は九時より部長回診が有り、今日もS部長先生と当日勤務の神経内科の先生方とリハビリの先生、師長など十名位で、各患者一人ひとりを担当医の説明の元、病状を確認されながら「少しずつ良くなっているね、余り頑張って無理しないよう」と言われ、私が「この痺れは無くならないんですか」と尋ねると「うーん個人差があるからね」一寸心細い返事であった。

 その後M主任が来られ「夜中はベッドでの立つ練習は、落ちて怪我でもしたら大変だから」と禁止された。今日も楽しみの風呂の日で、入浴担当は気さくでサッパリとした看護師のUさんと看護助師のWさん、手も大分動く様になっ
たので顔と腕は自分で何とか洗えるようになってきた、これもみな看護師さん達の励ましと看護のお陰と感謝で一杯である『ありがとう』の一言である。

 午後からのリハビリ車椅子の乗り移りは、腕の力が付いてきたので、看護師さん看視の下、足はもつれるが何とか思い切って自力で出来た。

 リハビリ室へ行ってK先生は最初の基本の筋力を付ける運動は私に任せて頂いて頑張ってやった、正座と膝立ちは出来る様になり、片足立ちは重心の移動が難しく上手くゆかない。(平衡感覚が正常でないから) 箸使いは落ち着いてやれば、小豆を掴んで皿から皿への移し変えゃおはじきとサイコロのつみあげは出来る様になった。

 夕刻一番上の姉のご主人が見舞いに来て下さったご本人も塵肺で通院されているのだが、私の前では気丈に振舞っておられた、今まで金銭的にも何度か迷惑を掛けているのに有り難かった。

 其の夜は、向かいのベッドのUさんがベッドの柵を動かしていて転落されたね私はすぐナースコールをして看護師さんに助けを求め大事には至らなかった。

握力 ★ 右手十二キログラム・左手十四キログラムまだまだである。


CIDP記録NO18・・リハビリの成果少しづつ。 ★ CIDP記録No19・・転院の心配
    CIDP記録NO18・・リハビリの成果少しづつ。

      CIDP闘病記録   2007/1/28(日) 午前 9:56 (投稿日)

早 や 2 月 寒 さ も あ と 1 ケ 月 半。

24 時 間 勤 務 の バ イ ト 月 に 11 回 だ か ら 休 

み が 多 い の で 暇 を 持 て 余 し て い る。

暖 か く な れ ば あ ち こ ち 散 歩 で も す る ん だ 

が、 も う 少 し の 我 慢 春 が 待 ち 遠 し い。

こ の 様 な 文 字 ば か り の ブ ロ グ は お 寄 り 戴 

い て も 読 み づ ら い か ら 、 フ ァ ン も コ メ ン ト 

も 無 理 です よ ね。

                 山 の 辺 の お 地 蔵 さ ん


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         平成16年3月15日(月) 

          リ ハ ビ リ の 成 果

 朝から担当のN先生が診に来て下さり握力は右手が7kg左手が

11kgで少しづつ力が付いてきた、只、残念なのはこの前お願いして

いたリハビリセンターへの転院の事白河池分院はスタッフの不足で

受け入れられないとの返事であったショックである、自分勝手な思い

だが入院費用の支払の遅れが原因だと思われる。

今日の風呂は入る人が多く11時55分になってしまった看護師さん

には食事休憩の時間なのに気の毒だが入れて頂いた、今日は看護

師のY・yさんと看護助士のMさん車椅子から車椅子に乗せ代えて

頂く時腰から下を突っ張るようにやってみたすると足はねじれていた

が瞬間「すごい」とy・yさんが言ってくれ側でMさんも「辻井さんすごい」

と言ってくれた、少し足に筋力が付いてきたのか自分では分らない

が、足が上半身を支えていたそうです。

2時からリハビリだ、車椅子の乗り降り移動練習でK先生に持っても

らいながら何度かやるが足の位置が分らず今一つうまく行かないも

う少しの頑張りだ、その後白川分院への転院が駄目だった事なぜ駄

目だかを金谷先生に話てみたそしたらN先生に話してみますとおっし

ゃって頂いた。

部屋へ戻り少し腰から上の運動をしていたらふとした事から、上向き

でお腹に神経を集中して少し反動を付け両肘を突き片手づつ手の平

を突きベットの枠を持たずに上半身を起こす事が出来た、又一つ前進

出来たようだ。

妻が来てその事を言いやってみると目を潤ませなから喜んでくれた。


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     CIDP記録No19・・転院の心配。

     CIDP闘病記録   2007/3/4(日) 午前 11:58(投稿日)

私 の 家 の 梅 の 花 も ほ ぼ 散 り ま し た。

     早 い 春 は 暮 に 植 え た 小 さ な 牡 丹 の 

 新 芽 も 5 c m ほ ど 伸 び ま し た。

       半 月 以 上 は や い 春 が 来 ま す ね。

又 三 年 前 の 闘 病 時 の 記 録 を 長 々 と 書 き ま す ね、

        気 に 成 る 方 宜 し け れ ば 読 ん で 下 さ い 。


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   (2004)平成16年3月16六日(火)

          転 院 の 心 配

最近どの病院でも三ヶ月経つと同じ病気では通常転院しなくてはいけないと聴いたので、主治医の中村先生に「未だ車椅子にも自力で移動できない私でもこの病院を出ていかなされるのですか」と尋ねてみた、答えは「辻井さんの場合はやはり立って松葉杖でもついて歩ける様に成るまで居て頂ける様病院と相談します」との事で一安心、私の目標は入院した時から『退院の時は自分の足で歩いて玄関を出て行く事』これが叶いそうです。

 午後いつもの様に1時30分よりリハビリ、車椅子移動は日一日と進歩があり何とか成りそうだ、立つ事はまだまだ無理、リハビリの金谷先生は歩く為には足の筋力より先に《お尻の筋肉と腹筋を付けましょう》と仰って頂き、「自室のベットでも暇な時は常にリハビリをします」と言うと「余り無理しない程度にね」と言って頂いた。

 その後四時過ぎ、人口呼吸器挿入の時、上の歯ゼロになってしまっているから入れ歯をしましょうと言う事で口腔歯科へ行き、下の歯は7本残っているので下はブリッジで、上は総入れ歯の型取りをして頂いた。

 夕刻世話部の方にお願いし一応リハビリだけに成った時の転院先の申し込みを妻に事務所へ行ってもらった。

テーマ:神経難病 - ジャンル:心と身体

CIDP記録No16・・・前進前進 ☆ CIDP記録No17・・お箸の練習・幼児と同じ、
           CIDP記録No16・・・前進前進</span>

    CIDP闘病記録    2007/1/14(日) 午後 8:20 (投稿日)

もう1月も半ば1日1日を充実した日にしないと、
私の人生は何だったんだろう、死ねば翌日には忘
れ去られるだろう。
残りの人生を悔いの無い日々にしたいですね。
この様な文字ばかりのブログはお寄り戴いても読みづらいから、
ファンもコメントも無理ですよね。
                                                                                                               
                      山の辺のお地蔵さん

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        (2004)平成16年3月9日(火)

           気晴らしに読書

 朝五時に起きようやく一冊目の本を読んでしまったので、車椅子に

乗せてもらい運動かたがた毎週火曜日に46病棟受付前に10時に

本の貸し出しが来てくれるので車椅子に乗せてもらい借りに行った、

赤川次郎の『真実の瞬間』と池波正太郎の『鬼平犯科帳・迷路』言う

のが有ったのでそれを借りて戻り早速読み始めた。

午後はリハビリ手・首の方は大分動くように成り少しづつ力が出てき

た様だが膝から下は感覚ゼロ足首指先は動かしているつもりでもま

ったく動かない。

その後先日予約していた歯科へ1回目の入れ歯の型取りに行った

診察台四番のT先生であった日にちも掛かるので残っている根も抜

かずこのまま上下型取りをして歯茎の色合わせをして頂いた、次回

は3月16日と言う事で終わった。


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     (2004)平成16年3月13日(土)

           字を書く練習

 今日から出来事だけを簡単にノートに書いておく事にした。

妻さよ子は夜町内の集会が有るので十一時比来てくれた、午後2時

頃に椅子に乗せてもらい外が良く見えると聞いていた5階の50病棟

の南端の窓の所へ行った本通りのアーケード・市役所・天理大学の

2本の煙突その向こうに竜王山が見えた。

 戻って間もなく3時に長男の啓貴が見舞ってくれた車の雑誌ベスト

カーとジュースを持ってきてくれた、「大分動くように成ったよ車椅子

にも乗れる」と言って支えてもらい車椅子に乗って見せた「何処まで

良くなるか分らぬが頑張るからもう少しの間我がまま言うけども堪忍

してくれ」と許しを請う、明日は佳子さんと孫の理紗子を連れて神戸

へ遊びに行くと言っていた。

夜12時前におしっこを漏らしてしまったおむつから漏れパジャマと

シーツまで濡らしてしまった、主任さんが当直だったので申し訳なか

ったが「即効の睡眠剤のせいで気付かなかったんだね」と言ってく

れた「それでは明日から晩の11時30分から12時の間に看護師

さんに必ず見回ってもらい声を掛けるようにしますから」と言って

下さった。


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   CIDP記録No17・・お箸の練習・幼児と同じ、

   CIDP闘病記録   2007/1/22(月) 午後 5:58 (投稿日)

 今年は今のところ暖冬のお陰で、未だ足首より

先は痺れは在るが冷たくならないから助かっている。

 あの苦しんだ時から3年あの年の冬は天理で

も何度か雪が少しではあったが積もって、妻が

車に乗るの怖いから今日は見に行かないとの伝

 言が看護師さんから届いたものだった。


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         (2004)平成16年3月14日(日)

           手先と指のリハビリ

 今朝も早く目が覚めたので9日に借りた本を読んでしまった火曜日

まで退屈なので2冊の本は46病棟の受付横の本の返品箱へ返して

看護詰め所の本棚をよく探していると池波正太郎の『あばれ狼』と言

うのが有ったので借りた。

午後1時40分頃車椅子に乗り移してもらい6階の68病棟のMさん

の所へに行ったが処置中と言う事で時間が掛かるので声だけ掛け

て60病棟の南側の窓の所の休息所へ行き外を眺めていた5階よ

りは良く見え場所も広いのでゆったりできた。

その後リハビリに行き箸で小豆を掴んで別の皿へとおはじきを皿か

ら箱へ移す練習小さな小豆はなかなかうまく摘まめないおはじきも

ついきつく摘まむより軽く摘まむとうまくいく気長に落ち着いてやら

なければならない、足の方はK先生の手助けのお陰で曲げ伸ばし

が大分出来るように成ってきた、台に座り前方に置かれた輪投げ

は上半身が腰より前に来た時持ち堪えられず前のめりに落ちそう

で怖い先生は持ってあげるからもっと前へ身体を倒してと言って頂

くが、でも不安が先にきて手先だけを伸ばし腰や身体は引けて倒す

事がまく行かない、でも自分が頑張るしかない。

夕刻妻が来てくれてミニアンドーナツを持ってきてくれすぐ食べた、

顎が落ちそうとはこの事か顎の内側の奥から唾がほとばしる様で

顎が外れる思いであった。

 夕食後は右目からこめかみにかけてズキズキ痛が走って頭の中

の神経か血管が悪くならないか不安になってきた。

CIDP記録No14・・気をしっかり持ち頑張るぞ。☆ CIDP記録No15・・一日一歩前進・本を読む
CIDP記録No14・・気をしっかり持ち頑張るぞ

健康と医学    病気、症状   その他の病気

CIDP闘病記録      2007/1/5(金) 午後 6:04 (投稿日)



お正月も終わり、私にとっては元旦から仕事だったし昨日4日も出勤、

明日も出勤若い頃からゴルフ場に勤めていたから、お盆も正月もまと

もに休んだ事は無かった。

 唯、病気をした時だけ正月が出来るつまらない人生である此れが私

の定めだと諦めるしかない、生きて往く限り不運は私の友達と思い半分

諦めの気持ちで付き合って行かねばならない。

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       (2004)平成16年2月21日(土)
     
   気合を入れて自力でのリハビリしなくてわ
    
 昨日も今日も気が付いた時は痺れっぱなしの身体では有るが、腕
から先は始動が自分の意志よりは1秒近く遅れて何かロボットを操
縦しているかのようではあるが動くので、両手の指が意識しないと手
の平側に曲がってしまうので手の平を合わせ胸の前で伸ばす、そし
て指を1本1本反り返らせて手の平側の少ない筋肉を伸ばしてゆき、
甲側の指を伸ばす筋力を付けなければならない、これをしていると
強烈な痺れが来てつい呻き声を上げてしまう。
 しかし頑張らなくてはリハビリの金谷先生が一生懸命やって頂いて
いるのに報えないし、後は自分で気を抜く事無く生きる事に執着し少
しでも元の自分に戻れるように自分自身が努力するより仕方が無い、
最低でも上半身だけでも元になる様に自分に言い聞かせ頑張りつづ
けるしかない。
半分は先生や看護師さんのお力に頼り、残りは自分自身の気力と
心を萎えさせない様に自分を励ますしかない。

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     (2004)平成16年2月24日(火)
                         
    新しい入室者

昨日Hさんが退院したので僕の向かい側が空いたので午前中に同年
代の見た目意外と元気そうな方が入室された、午後になると何人もの
人が次々と来られ見舞いの方や家族らしい人、半数の人は天理教の
ハッピを着た人達その人達は「先生、先生」と患者さんを呼んでいる多
分何処かの教会の会長さんであろうか、そんなので今日は一日中ざわ
ざわと落ち着かない一日であった。


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  CIDP記録No15・・一日一歩・・本を読む

CIDP闘病記録     2007年1月8日(月) 午後 5:02 (投稿日)

初めて訪問して戴いた方へ、この日記的なものは私が3年前に患った

病気の時、首から下が麻痺した時の自分の記憶と、妻のメモ、後で聞い

た担当医の話等を、自分で感じた通り文字を並べただけのものですから、

読みづらいと思いますが、勘弁してください。                                 

              ご 訪 問 有 り 難 う ご ざ い ま し た。


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        (2004) 平成16年2月25日(月)

                   痺れとの付き合い

 朝はいつも五時ごろに目が覚める(アア今日も生きている)これが

朝一番の実感であり喜びでもある。

全身は麻痺したままだ、何時ものようにまず始めに指が動くか確かめ

片方の手の平でもう一方の指を動かすそして指を伸ばしてやるそれを

繰り返してから動く範囲で、一本また一本と自力で動かしてみてグーパ

ー・グーパーを繰り返す、頭で思っているようには動いてはくれないが、

痺れが来るつい「ウッー」と小声で唸り声を上げてしまう。

 痺れはこれから生きて往く限り一生ついて回るのかと思うとたまらない、

そのその日で気持ちが揺らぐ、もっとしっかりしなくては頑張ってくれてい

る妻や家族に申し訳ない。

妻は殆ど毎日顔を見せてくれる、今日の昼過ぎに、昨日夕方持ってきて

くれたゆで卵を食べようと袋より出していると看護師の内之宮さんが

「むいたげよか」と親切に言ってくれたが「これもリハビリの内です」と言っ

てたまごを両手で持ち額を卵にぶつけて皮を割り指先に力は入らないが

手の平と口で何とか皮が剥けた、看護師のUさんは手を叩いて喜んでく

れた塩を付け久々に美味しく食べる事が出来た。

 食べられる事の幸せ、改めて感激つい目頭が熱くなる。


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           (2004)平成16年3月5日(金)

                      読書始める


 朝から車椅子の動かす練習をしょう

と看護師さんも忙しい中、車椅子を持って来て頂き何時もの通り看護師さん

の首に手を廻し、ぶら下がる様な格好で車椅子に乗せてもらい下ろして頂く

時も看護師さんの手の空くのを待ってお願いする、看護師さんにはいつも

迷惑の掛けどうしです。

練習で病棟内を動き回っていてナーススティションのカウンターの左端に小

さな本棚が有るのを見つけた、あまり僕の気を引く本は見当たらなかったが

その中に一冊、西村京太郎の〝寝台特急北斗殺人事件ロイヤルトレイン,,推理

小説好きの自分には打って付の単行本であった早速数ページを読んだ。

 午後には髄液検査の為のあの痛い髄液採取である、担当医のN先生と

看護師さんは私のお気に入りのK「結婚したからN」さんであった、何時も

の様に横になり背を丸めてベッドの手摺にしがみついて傷みを堪えた、

麻痺が少なく無くなってきたから痛みがきつい看護師がNさんだから心は

癒されるから我慢が出来た

CIDP記録No12・・・再々出発 ・ CIDP記録No13・・閉所恐怖症克服・初浴槽風呂

書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気  2006/12/30(土) 午後 9:14


       (2004)平成16年2月13日(金)


          ステロイド治療開始


 今日から三日間ステロイドの点滴一日一本1000mgを注入九時過ぎから

やって頂いた「身体がカァーとなってくると思いますその他何かあればすぐ言

って下さい」との事でした。


 無事終わり身体が少し暖かくなったが特に異変はなかった、ただ心配なのは

十二年前の結核で別所分院に入院中に東京から来た同室で治療していた二

才の男性が「ステロイド治療の結果です」と言っていた肋骨が胸の真ん中

で陥没した異常な変形を思い出し少しはぞっとした。


  午後にはリハビリの金谷先生が毎日部屋へ来て下さっていて「先生又、一

からですねお願いします」一生懸命やって頂いているのに申し訳なくてつい

涙が一筋流れた、妻が来たので一週間ほど前に買ってもらったノートを取っ

てもらい一度ボールペンを持ち何か書けるかやってみたペンは思うように握

れないが今日の日と金曜の(金)の字、(辻井汎史)を5個(あいうえお)から

(さしすせそ)人には見せられるような字ではないが肘を使って何とか書けた。

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        (2004)平成16年2月14日(土)


ステロイドの点滴は、今日明日と射って頂いて後は錠剤を飲んで治療するとの

事である
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        (2004)平成16年2月16日(月


ステロイドの錠剤(プレドニゾロン五mg)を六錠朝食後だけ其れに合わせ4

種類が朝食後、昼食後フ種類、夕食後は3種類、これだけの薬を毎日のみ、様

子を見ながらステロイドを一錠ずつ減らしていく予定で治療を続けていくと言

う事です。


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CIDP記録No13・・MRI閉所恐怖症 初浴槽風呂


書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気  2007/1/1(月) 午前 0:09


         (2004)平成16年2月18日(水)


          閉 所 恐 怖 症 克 服


前日は私は閉所恐怖症の為50分が2~3時間くらいに感じた。
 一人部屋の要る患者さんが入院して来たので今一人部屋の人この二人部屋へ

移って来るので、僕はトイレ近くの五人部屋へ移る事に成った、入って左の真

ん中へベットもテレビ台もそのまま移動なので楽である、向いはKさんと言う

八十くらいのおじいさんで脳梗塞で話はほとんど出来ず管での流動食と点滴、

痰の吸引が必要な人、その左はHさんこの方も高齢で脳梗塞で大分良くなり間

もなく退院のようだ、左側窓際はおばあさんでやはり脳梗塞の方、僕の右側は

視神経の病気だと言っていた30代の男性で案外元気そうで歩く事も出来てい

た、なんとなく重苦しい雰囲気の病室である。


   午後三時からまたMRIの首の方の検査である昨日と同じように準備をし

まった入る前に技師の先生に「今日は出来るだけ早く三十分くらいでお願い

しますね」と無理な事をいってしまった、今日は目をつむり中学生の時の同級

生の名前と顔その人達とした事を出席名簿順に思い出して時間を紛らわす事に

した、“稲田君、あっ数年前に亡くなった・上田君、元気で農業やってるだろ

うか・岡田君定年まじか電車の運転してるだろうか・・・・好きだったあの人

はどうしているだろう”次々と昔の顔が鮮明に蘇えった、大成功であった40

分間かかったが閉所恐怖症は克服できた。

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         (2004)平成十六年二月十九日(木)


             初めて浴槽で入浴


 本日は風呂の日、車椅子に乗せてもらい顔から下は痺れたままで手も麻痺し

たままだが手の位置を目で確認して手の平の感触はなく只痺れが伝わってく

るのを感じて動かしているという意識を強く働かせたすると車椅子は前進し

た左右に曲がる事も出来る10メイトルぐらいは進めた嬉しい。十時三十分

から今まではシャワーだけだったので湯船に入れてもらう事にした。


  入浴当番は看護師の金本さんと看護助士の渡辺さんだった、何時もの様に

動かぬ身体を風呂用の車椅子に乗せ変えてもらい頭から足先まで洗って頂き

、車椅子用の風呂へ後ろ向きに椅子ごと押して入れ後ろの下の方から勢いよ

くお湯が入りあっという間に肩まで浸かれたそして左右からジェットバスの

ように泡とお湯が吹き出して何とも言えなく気持ち良いお湯の中なので足が

かすかに上下に動かせる様に思えた、10分ぐらい浸かっていると始めて額か

ら汗がにじんできて上半身の汗が出始め少し熱のある頭がスーッとした感じ

であった、自律神経も少し良くなったかも知れない。
 湯船から出してもらい着替えをしてもらって廊下に出て車椅子を押しても

らっている時の顔に当たる風が何とも言えぬ心地よさであった、「今まで自

分で体温調整が出来なかったのが風呂に入って身体全体を温めたので戻りか

けて来たんですね」と私の一番好きな看護師の金本さんが言ってくれた。

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CIDP記録No10・・回復の兆し。 ・ CIDP記録No11・・再発・CIDPに。

CIDP記録No10・・回復の兆し。


書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気   2006/12/25(月) 午後 5:22


    命ある限り頑張らなくては、誰も助けてくれないしっかりしよう。


           (2004)平成16年2月2日(月)


      リハビリ室へ『人間はなぜ二本足で立てるのだろう?』


 リハビリは午後二時よりで看護助士の松本さんに車椅子を押してもらい、

三階に行くとリハビリ室があった。

 七・八名の先生が居られた部屋の中ほどの左側に高さ四十センチで広さは
一坪程の緑色のマットの台に移して頂き仰向けに寝かしてもらい、足首を曲
げたり伸ばしたり膝を曲げるリハビリの始まり、アキレス腱やどの筋も一ヶ
月半も動かしていないのでこれが大変痛いつ、「痛い・やめてー」と叫んで
しまう、手も指の曲げ伸ばし肘や肩を動かして頂くなんといっても筋力がほ
とんど無い状態だからただ先生に動かして頂いて何か操り人形のようだ。

 未だ自律神経も働かないのか体温調節が出来ないので汗が出ない、すぐ体温
が上がり暑くなる、休憩しながらしていただく。

その間他の人がリハビリしているのを見ていて今までなんとも感じなかった
事、『人間はどうして二本の足で立ち、倒れること無く歩けるのが不思議で
しょうがない』、今 の自分には怖くてどうしても出来そうに無いと思われた
、今の状態ではいくらリハビリをしても立つことやまして歩く事なんかとて
も出来る様に成るとは絶対思えない、いくら良くなっても車椅子で動き回れ
れば上等としか思えない、金谷先生はあまり暑がるので何処からか小型の真
っ赤な表に〔左〕裏には〔吉本〕〔笑福〕〔左うちわ〕と書いた吉本興行の
芸人の似顔絵の書いた小型のうちわを持ってきて仰いで頂き「これ辻井さん
にあげる」と言われ、焦らずゆったりと左うちわのつもりでと僕の心をなご
まして頂いたと感謝しています、「これから毎日持って来ます」と言って頂
いて戻った、それからスリッパを履いていったので「奥さんに言って買って
貰ったら運動靴を履いて来て下さい、私が掃き易い様に紐を付けてあげるか
ら」と仰って頂いた。

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        (2004)平成16年2月5日(木)
 
           体温下がらず        
 
風呂は週二回月曜と木曜なので今日は風呂の日、二回目の今日は助田さんが
 
番で動かない私の身体を汗一杯かきながら頑張って洗って着替えさせても
 
らい頭を乾かして頂いた。

まだ汗が出ないので風呂上がりは体温が上がり氷枕が気持ち良い、風呂に入
 
っている間にシーツ交換もちゃんとやって頂いていた、病棟へ戻ってからは
 
常に氷枕をし続けていないと体温はいつも三十七度二分から時には三十八度
  朝、目を覚ますと動くはずの手が指がぜんぜん動かなくなっていた、気は焦るが

 

常に氷枕をし三分がずっと続いている。

 
 足の痺れや身体全体の痺れ何とか成らないのだろうか明日先生に聞いてみよ
 
う、特に足の指の痛みはどうしても耐えられない。便は三・四日に一度それ
 
も相変わらず浣腸をして頂かないと出来ない看護師さんには迷惑の掛けどう


しだ申し訳ない。

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CIDP記録No11・・・再発・CIDPに。


書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気  


        (2004)平成十六年二月十日(火) 

  

 今日は昼前からだんだん手も上がらなくなってきた、どの看護師さんだったか忘

れたが「もうあかんわ、手も上がらん様に成ってしもうた」と言ったようだ、又

一ヶ月前のように成ってしまうのか、今度こそ駄目かもしれない悔しさで一杯だ。

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           (2004)平成16年2月11日(水)
     
朝から熱が出て身体全体がだるくて仕方が無い、せっかく動き出した指や手や首、

かすかに動き出した膝それらが殆ど動かなくなってしまった、痺れを取る薬のせ

いなのか中村先生を呼んでもらい薬を止める事にした、午後のリハビリは又金谷

先生に部屋へ来て頂いてやって貰った。


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           (2004)平成十六年二月十二日(木)


            再発・CIDPに病名変わる


どうしても動かない(又始まったのかせっかく治りかけていたのに)と言う思い

で看護師の五十部さんに「どうなるのか不安でしようが無い早く治療してほしい」

と急いで中村先生を呼んでもらい診て頂いた。
 採血し検査をしてもらい夜七時頃に妻に来るようにとの事で看護師さんに自宅

へ連絡してもらい、妻が六時半頃来てくれた。
 木曜日の夜は部長先生他先生方の会議の日で、運よく僕の事も話し合って戴けた

、会議は九時半まで続いたので妻も其れまで待っていてくれた。
 その結果は『ギラン・バレー症候群』が八週間で再発したという事で病名が変わ

『CIDP』{慢性、炎症性、脱髄性、ポリニューロパチー(多発根神経炎)}

と言う長ったらしい病名になってしまった、この病気は治癒しても八週間以上する

と再発する可能性が大で、治癒・再発の繰り返しが続く事が多いと言う。
 治療法として一つは血漿交換・ガンマーグロブリン療法、も一つはステロイド・

免疫抑制剤を投与して筋力を付ける事の二つの方法が考えられるとの事であった。
 結果ステロイドの方で治療して頂く事になった、ただステロイドには副作用が多

くあり[感染症(免疫力の低下)]マスクをしてあまり人混みの中へは行かぬ事

[骨粗しょう症]カルシュームを多く取る[胃潰瘍]神経質に成らぬ事[ムーン

フェース][中心性肥満][白血球の増加]血液がドロドロになる為水分をよく

取る、これだけの事に注意しなければならない明日から実施しましょうと言う事

になった。


CIDP記録No8・久々の口からの食事。 CIDP記録No9・・・一歩前進。

書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気  2006/12(日) 午後 8:06


      (2004)平成16年1月24日(土)
 
                     久々の口から食事 
         
        午前中に妻が昨日散髪屋さんを予約しておいてくれたので女性の方が
た事だ、その後手と手を合わせて指を伸ばす事に気合いを入れてやった。
道具を持って病室へ来てくれました、寝たままの散髪でまして身体の自由も
利かないから、やる人は大変だろう毛を刈り、髭を剃り散髪屋さんは汗を僕
の顔にぽとぽと落ちる ほど頑張ってやってくれ最後に頭を寝たまま洗ってく
れました(ヘルパー講習の時 僕も練習したのでやり易い様に動ける範囲で動
いた )無事終わって鏡を見るとちょ っと切り過ぎたかな、でも退院もすぐ
出来るわけでなしまあ良いかさっぱりした。
 (ちなみに散髪代三、五○○円也)

 午後先生が見え鼻から入っている流動食の管を外して粥食にしましょうと管
を抜かれました、鼻はすっとしたが喉は異物が入っていたせいか少しヒリヒ
リしている、始めはまずジュースにとろみを付けて飲んでみた案外素直に流
し込めた先生は これなら大丈夫でしょうと言われた。

  それより上の歯が一本残っていたのが無いので慌てて先生に「歯を飲み込
んで しまったのと違いますかそれともこの辺に落ちてませんか」と言うと
「ICU」で人工呼吸器の管を入れる時に一本の歯が邪魔になるのでその時
僕に抜いても良いですかと聞いたら、はいいいですと言ったじゃないですか、
だから歯科の先生に抜いてもらいましたよ」と笑われた自分には全然記憶が
無かった。

 昨日あたりから肩・肘・手首がゆっくりとではあるが動かす事が出来る様に
成った、夕食より粥と歯が無いのでおかずはミキサー食である、妻がプラス
チ ックのスプーンを持って来てくれていたかので指はほとんど動かないから
人差し指と中指の間に指は少し曲がった状態なので指と平行方向に挟んで、
左手で右手首を支え最初はなかなか上手くスプーンが水平にならずいらつき
がらも一口食べてはいっぷくし、又一口とお粥以外は緑色・うす茶色なとろ
とろにミキサーされているのでまだ舌の感覚は麻痺しているのか何を食べて
いるのか分らない、でも久々の口から物が食べれる事が嬉しくてたまらなか
ったが四分の一も食べる事が出来なかった只お茶にもとろみを付けるので味
気なくストロー で飲まなければならない、普通はジュウスやお茶などはその
ままのの方が喉の通りが良いかと思うが逆だそうでとろみが付いた方が気管
に入る事も無く飲み込み易いのだそうです、まあともかく口から食べられて
ほっとした。

 昨夜あたりから寝ていると足の先が布団に当たり麻痺しているのになぜか
強烈に痛みだした足を動かす事も出来ずどうにもならない、看護師さんを呼
んだ五百木さんだった「本当に申し訳ないですが足の先が痛くってたまらへ
 んね、足先と足首を揉む様に動かして下さい」とお願いし片足十回づづ両足
をもむようにやって頂いた、すると四・五十分はもった、しかし又じわじわ
と痛み出し一時間半ぐらいするとだんだん我慢が出来なくなってくるうめき
声を上げるほど痛くなるまで我慢し、たまらなくなると申し訳ないと思いな
がらも看護師さんを呼んでしまう、そんな事がこの日から始まった、妻にも
来た時に は必ずやってもらうようにした。

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      (2004)平成16年1月26日(月)

          最終の血漿バン交換

  今日は十時ごろから最後の血漿バン交換、前回はい気苦しくなったのでの
で大変心配である交換をして頂く先生は早い目早い目に中村先生を呼んでカ
ルシュウムを入れてもらい、自分も出来るだけ他の事を考えて先生と冗談ま
じりで話すようにした其のせいか二時間半はかかったが、たいした事もなく
時間も短く感じ無事終わったこれで徐々に良くなっていくんだと信じる事に
した。

  リハビリの金谷先生は血漿バン交換中に来られたので出来なくて又夕方き
ますとの事で七時半過ぎに来て頂き、右手右足左手左足の順にリハビリをや
って頂いた「夜遅くまですみません、先生自宅は市内ですか」と聞くと「い
いえ京都から」と言われ本当に申し訳なく思いました。

昨日看護師の助田さんにガードを付けてもらったが、今度は足先がベットの
下の方に少しでも当たっているとビリビリと痛く我慢が出来ない看護師さん
を呼んで「お願い、申し訳ないんだけど足先が痛くってしょうがないので御
免やけれど足先きと足首を動かして下さい」とお願いしてしまっていた、看
護師さん達には本当に世話のやける患者で嫌な思いをさせている事だろう、
申し訳ない、ありがとう。

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     (2004)平成16年1月27日(火)

 中村先生が来られ、今日は血漿交換の時に左足の付け根の静脈に差し込ん
である二本のチューブを取り外す事に成った、看護師さんは中神さんが付い
ていてくれ た、チューブの太さは七ミリほどあり抜いた後出血しないかと不
安であったが痛みも分らず圧迫用のテープ等で押さえて一時間じっとしてい
るだけで終わった、又一つ前進である。
 
今日も五時過ぎリハビリの金谷先生が来て下さった、まず指を両手同時に親
指から順に折り曲げていき小指から広げていくこれだけの事もまま成らぬ、
次は親指の先に人差し指の先・中指・薬指・小指と順に着けていくこれも思
うようにいかず、親指と人差し指で丸を作る、最後に親指・中指・薬指で影
絵の時にするキツネの形をするのだがなかなか上手く行かぬ指を伸ばす事が
出来ないどうしても指が曲がってしまう、手というのは指を伸ばすのにも大
変筋肉を使っているんだなと始めて知った健康な時は何とも思っていなかっ
た事だ、その後手と手を合わせて指を伸ばす事に気合いを入れてやった。

CIDP記録No7・ICUから48病棟へ

書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気   2006/12/9(土) 午後 0:21


私のブログは面白くも何にも無いですが、病気になった時の戯言だと
お笑い下さい、又少しづつ書かせて頂きます。
見て頂いた方には「ありがとう」心より御礼申し上げます。
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   (2004)平成16年1月21日(水)

     ICUから四十八病棟へ
今日は、四十八病棟へ戻らなければなら無い日だ、病棟へ戻るのが大変不安であ

る昨日に「二十一日に病棟へ戻ってもらう」と言われた時から病棟ではナースコール

を押しても看護師さんが忙しくてなかなか来てくれないもし、もし痰が絡んだ時すぐ

来てくれないと窒息死してしまうのではないかと不安で不安でしょうがない、妻に付き

添ってくれと言ったところで吸引などできっこない。

 そこでICUのN師長にお願いし都祁村針の姉(元この病院で看護婦をしていた)

を知っているとの事だったので付き添ってもらっても良いかと聞き、病棟のK師長

にもお願いしてもらった、だが妻にその事を言い姉に電話してもらったが、東京の方

へ行ってていつかえるか分らないとの事であった益々不安でもう少し良くなるまで

このままICUへ置いてもらえないかとお願いをした、でも無理なようなのでその時

はその時で自分の命はそれまでと心を括った。

 今日は四回目の血漿交換の日で十時より始まり十二時半頃までかかった途中何
 
度か耳や頭かかゆくなり点滴にカルシュウムのを注入してもらい無事終わった、
 
後二回・計六回行う事に成っているただ他人の血漿と入れ替っているので副作用と
 
して感染症・免疫力の低下・過敏反応などがあるらしい。

 その後いよいよ病棟へ戻る事に成り酸素ボンベを付けた病棟のベットに移され

看護師さんやN師長に涙ながらに「有り難うございました」と言いベットで運ばれた。

最初に目にした病棟の看護師さんのネームプレートはYさんだった「おかえりなさい
 
良かったね」数人の看護師さんも「おかえりなさい」それぞれに笑顔で迎えてくれた、
 
妻も来てくれていたNS前の3427号室二人部屋の入り口の方に入った。

入った時妻に同室の人の名札を見てもらいHさんだと言った何処かで聞いたか

、見た記憶が有った名前である、これからは付きっ切りの看護師さんも居ないし

誰も付き添ってくれない、手がかすかに動くと言ってもちり紙一枚持つのが精一杯

だけでどうすればいいんだろう、考えだけが思い巡るがどうにもならない、まずは

普通のナースコールのボタンを指先に力が入らず押す事が出来ないそこで看護師

さんにお願いしてボタンの大きい大型のに取り替えて頂き指の関節でなんとか押す

ようにした、少ない痰の時や唾を拭く時のティシュペーパーを取る事すら手が思う

ように動かず、まず妻に手を伸ばした所にティシュボックスをベットの柵の所へ

結び付けてもらった、又テレビもカードの出し入れリモコンのボタン一つ押す事が

出来ない、まあわてず考えながら気長に対処するしかない、妻にはわがままや

きつい事を言って申し訳ない口では言えないが心の中ではすまない有り難うで

いっぱいだ。

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    (2004)平成16 年1月23日(金)

      血 漿 交 換


病棟へ帰ってから初めての血漿交換で十時からの予定で始まった、前回同様

かゆみ等有れば言って下さいその時はカルシュウムを点滴に入れるからの事、

他人の血漿を入れ換えると体内のカルシュウムを吸収するからだそうです。

 ところが始まって十五分ほどした比から胸が締め付けられるようになり息苦

しくなり呼吸をするのが困難になってきた看護師さんや先生が息をゆっくり大

きく吸ってと言い点滴にカルシュウムを注入してもらった、少しは楽になって

きたでも其れが三回ほど続いた痺れも口の周りにも広がった。

 痺れは直るんですかと聞くが直る人も有るがそのままの人も有り徐々に取れ

ていく事も有ると言う、だんだん不安になってきた。

 同室のHさんには付き添いの家族の方が毎日来られる、別に羨ましくはないが

こちらはチューブでミルク等を胃へ流し込みなのに美味しい香りのする食べ物を

持ってこられ病院食も食べた上で果物や煮たき物を食べておられた。

 午後中村先生が見え口から水分が取れるか冷水を二・三口飲ませてもらった

むせる事はなかったその後ジュースをストローで飲んでみる気持ち良く喉を通

っていくこれで飲水OKであった。

 その後先生が来られ右胸に刺さっている点滴の針を抜きとって頂き何か一つ

前進かなと感じた。

 五時ごろだったろうか「リハビリのKです」と白衣の女性が入ってきた

「これからあなたのリハビリのお手伝いをさせて頂きます」と言って親しみ

のある笑顔を見せられた、「よろしくお願いします」と言うと「私ねICUに

入った時からずっとリハビリに行っていたのよ分らなかった」と言われぜんぜん

感覚記憶が本当に無かったんだと改めて思った、脚の付け根や腕にはそれぞれ

点滴などのライン(針やチュウブ)が入っているので肘から上と膝から下を

やさしくもむようにそれぞれの関節を動かして頂いた、これから月曜から金曜日

毎日来ますとの事で帰られた。

CIDP記録No6・仏か地蔵さんか?これがあの世の入口か?


書庫『CIDP』闘病記録 ・カテゴリその他の病気 ・23

 


                          (2004)平成16年1月20日(火)

             現実か・この世とあの世の境目???

 はっきりとした日にちや時間は分らない、昨夜か数日前かこの脳裏に焼きついて
 いる事、夜ふと目を開けると【後で解った事ですが、ベットの足の方の普段は
看護師さんや先生方がいるべきNSや事務机やパソコンなどがある所が】、
広場に成って いて三・四列横に並んだ蛍光燈が後ろの建物の窓のように見える、

自分は現実だと 思っているがまさか幻でも無いだろう。

  頭は大仏さんの様な顔で法衣を着、足は短め小人の様な小学3~4年 

生位のふっくらとした体格に見え銅製の仏様かお地蔵さんような人が、

数人右へ左えと足が地に付いていないようなふわりふわり、でも足早で

動き回っていて、小さな木の車輪の荷車に壷や箱のような物を積んだり

下ろしたりして働いている、僕がじっと見ていると其の内の一人が足元

の方へ近づいて来ると大人の大きさに見えた、顔を覗き込む事も無く少

し傍に立っていて戻って行く、来た時は僕は目をつむるそんな事が何度

か ありどれくらいの何時間経ったか知れない?   後で思えばあの時

目を合わせていたら一緒に就いて行ってたならば今の私は居ないかとも

思われる。

 
 そのうち看護師さんの交代時間に成り吉川君と女性の看護師さん(名前はどわすれ
たが)、二人で話をしてはその人達の方へ行く痰が絡むのでナースコールをおすと
って吸引してくれる、そんな事が続いたそのうちいつしか眠っていた。
 
もう一つ先ほどの続きか・夢か幻か解らないが、変な事も有りました。

 目が覚め前に見た足元を見ると中央に祭壇のような物が有り後の建物だったとこ
ろは岩山のようで何か絵や書が展示されている様に見えた、コンピュウター のよう
だが昔見た映画の《大魔人》に見えたそこにも昨夜の仏様のような人もい た、そこ
で吉川君を呼んで「あそこに大魔人が居る」と言うとそんな者は何処にも居ないと
言われた、又昨夜の事も聞いてみたがそんな事はないと言われた。

 でもその後看護師さん達が祭壇に向い頭を下げ手を合わせお祈りし賽銭を上げ
 ていた様だ、何処まで現実で夢か幻か僕が本当にこの世とあの世をさまよってい
るのか変な時間や空間を経験した。

  中村先生が来られ右足付け根から入っていた点滴のラインを抜き今度は右胸の
鎖骨の下あたりに変えられた麻痺しているから痛くないと思っていたが強烈に
痛く何か五寸釘でも打たれている様でつい「ウゥーン」と声を上げていたその
後も常に十センチくらいの針が刺さっている様であった。

 ともかく時間の感覚がはっきりしない意識が戻ってから点では分っているんだ
 がつながりが無い、看護師さんで覚えているのは吉川君とよく話をしていた優し
 く接してくれたよく気の付く名前は覚えていないが若い看護師さんと、妊娠中の
 たしかアルバイトと言っていたと思う人この三人ははっきり記憶があり、妊娠中
の看護師さんはよくして下さるんだが「赤ちゃんが出来るんでしょうあまり無理
しないでださい」と声を掛けたと思う。

 吉川君はよく気が付き一寸したしぐさですぐ飛んできて看護してくれる彼は
結婚して近くに住んでいるとの事、あまり喉が渇くし何か口にしたくなり言うと
先生に聞き小さな氷の粒を口に入れてくれた、何日も何も口にしていなかったの
 で唯の氷なのに何にも増して実に美味しかったあの美味しさは忘れる事はない
 だろう、その後何度かおねだりしてしまったありがとう吉川君。

CIDP記録No5・アァー本当に生きているのか?

書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気  2006/11/13(月) 午後 5:51


                      (2004)平成16年1月19日(月)

                        意識回復・大病の認識  

 息苦しい、息ができない、助けてくれー、言葉にならない「ゆっくり吸って」

「もっとゆ っくり大きく吸って」看護師さんが胸を押さえながら励ましてくれて

いる。何だか分らな いがとにかく苦しい、身体が思うようにならない足が動かな

い、手が動かない、首も動かない、鼻も口も何だか変だ、何が何だかどうなって

いるか分らない。

とにかく喉がやけに痛い痰が絡む看護師さんが吸引してくれる、それがまた痛い

し息苦しい、 頭ももうろうとしている。


ふと誰かが声を掛けてくれた目を開けてみると、懐かしい顔がおぼろげに三人見
えた右に89才の父親、真ん中に七才下の妹、左に妹の旦那皆マスクを掛けてい
 る、「ごめんな、ごめんな」と言ったが声に成っていない、三人は寂しそうな顔

で唯うなずいていた、自分はただ涙が出るばかりああ本当に生きているんだろう

か?  いつかしら三人は消えていた。

 どれだけ時間が経ったのか経ってないのか判らない、痰が絡む苦しい看護師さ

ん を呼んでばかり(呼ぶと言っても手も動かないのでナースコールのボタンは

押せな いので唯大きく喉を鳴らすしかない)気の毒だがしょうがない、どうし

ても話した い時は五十音を書いたビニールケースに入った文字盤を持ってきて

もらい不自由な手で指差しながら伝えた。

 チュウブが左の鼻の穴から喉を通って胃の中へ直接ミルクや薬を流し込んでい

る ようで、その為気管が狭いのか痰が絡んで息苦しくなってしまう、右の方には

二○センチ四方の茶色のカバーをかけたポリ袋に入った点滴が四六時中行われそ

れは右足の付け根の所から入れられている、もう一本右腕にも点滴の針が常に付

いてい て何時間かおきに点滴をしてもらう、おしっこも性器から膀胱に管が入り

ベッドの側の袋に流れるようになっている、パンツもおむつになっていた、薬だ

けで生かさ れているとしか思えなくもない、只、脳・目・耳・鼻・口がどうやら

無事らしい。 


  何時ごろだか前後はっきりしないが始めてみる先生が何か機械を運んできた、
 血漿(新鮮凍結血漿)の交換だというオレンジ色の液体の入った袋八個自分の血

と それを入れ替えると二・三時間掛かると言う。左足の付け根あたりに管を繋ぎ
何の為かどうしたのか分らないがお任せするより仕方が無い、ボーッとした中で

何か色々話をしたようだがはっきりとした記憶はないただ赤血球以外のものを他

の人の血と入れ替えると言っていた、大変長く感じた無事終わったようだ、いつ

からか知らないが看護師さんで男性の若い人が看護してくれていた名札には吉川

と書いて あった(以前勤務していたJ&PのM君によく似ている、その後声が

少し出ると吉川君と呼ぶのは失礼かもしれないがつい「吉川君」と呼んでしまっ

ていた出来るだけさん付けにするようにした)素直で真面目な好青年である、

「今日は何日」と聞くと「一月十九日ICUへ来てから九日間経っていますよ」

と言われた。

 9日間も意識が無かったのかと驚いた、父親や妹の事意外何一つ記憶が無い、
 妻が来て髭剃りの充電器が間違っていて合うのを持って来てくれたので吉川君

が充電し髭を剃ってくれた、有難かった。


  妻は入院以来はもとよりICUに入ってからもほとんど毎日来てくれていたら
 しい有り難くて、さみしげな顔を見ても自分は言葉は出ず只涙ぐむだけであった。


CIDP記録No4・もう苦しい・死んでもいいよ。
書庫『CIDP』闘病記録  カテゴリその他の病気  2006/11/9(木) 午後 5:59


        (2004)平成16年1月11日(日)

           生 か 死 か

午後何時だか判らないが櫟本の弟、勝彦が見舞いに来てくれた

妻が未だ来てくれ ないので 心細かったので二時間ぐらい居て

もらった事を覚えている。
 夕刻から息苦しくなってきた、妻が来てくれる前六時頃から,

胸の筋肉がしびれ胸が締め付けられるようで息をするのが段々

苦しくなっていく、頭がぼうっとなって くる看護師さんを呼

ぶ何か手当てをしてくれている。


 「先生を呼んで」と確か言ったつもりだ、おぼろげに聞えてくる看護師さん達が忙しく何だかあわただしい、酸素を最大にしてもらったようだでも息が吸えない、 (何とかしてくれ)時間の流れが止まっているようだどれくらい経っただろう ベットが動きNS前の一人部屋へ運ばれた。

妻と長男啓貴・次男雅智達も来てくれているようで声が聞えてる、
よほど重症で危ないのか先生と何か話し合っているようだ、とに
かく苦しい看護師さんが胸を押さえ放す時に「大きくゆっくり吸
って」と人工呼吸のように繰り返してくれている。

 誰に言ったか覚えてないが「もおいいわ、もうこのまま放っといて、もう死んでも いいかまへん」 これ以上治療して頂くにしてもお金が無い家族皆に迷惑を掛る、ここで 死でんだ方が皆の為、諦めた途端に涙が出でてもうろうと成った。

 そしてどれくらい経っただろう、ベットが動きエレベーターで何処かへ連れられた部屋の前で待たされている様だ、その間もずっ
と力強く胸を押しながら励 ましてくれている看護師さんがいてくれる(後で聞いたのだが山中看護師さんだった)
その後たぶん麻酔を打たれたのか、後は何も覚えていない

CIDP 記録No2・麻痺が上へ上へ。記録No3

書庫『CIDP』闘病記録    カテゴリその他の病気         2006/10/28(土) 午後 1:34

 

       (2003)平成15年12月29日(月)
 
           便秘と痔

 入院以来一度も便が出ていない、看護主任の森継さんに車椅子でトイレへ連れて
いってもらうが太腿やお尻の筋肉が無くなり便座に座ると痛くて堪らなく、便が出る
どころでわない、それでベッドで上向きに寝たままゴムの便器にお尻を乗せ浣腸を
してもらいやったがなかなか出ない、そこで主任はゴム手をしお尻に手を入れてかき
出して下さった沢山出たようだお腹はすっきりしたがおかげで痔が出っ放しに成って
しまった大変辛い。
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        (2003)平成15年12月30日(火)
         
 膝から下が麻痺してしまっているから布団の重みだけでも当たるだけでピリピリと
痛い、まだ太腿には少し力が有るから動かす事が出来るし上半身をひねって横を
向く事が出来る、痔が出ているので痛くてたまらない薬を入れてもらうがすぐ出てし
まうからたまらなく辛い。
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       (2003)平成15年12月31日(水)
         
 今日はもう大晦日、自分のおかげで大晦日も正月も何にも無い、妻は毎日毎日
来てくれている家族皆に迷惑を掛け本当に申し訳ない、いつまで入院しなくてはな
らないのかお金の事が一番気に掛かる今の自分にはどうする事も出来ない情け
ない。

   明日は元旦なので雑煮やおせち料理が出ると他の人は言っていた、麻痺の方
はもうお腹の辺まで来ている手も動きがだんだん悪くなってきている、いったい何
処まで動かなくなるんだろう先生方にお任せするより仕方が無いがこの身体いっ
たいどうなるんだろう。
 お正月なので何名のかの患者さんは外泊で帰ってしまって病棟はだいぶしずか
になっている、でも看護師さんは結構忙しく働いてくれている。

急に
なっちゃう
もの
なんですね。
とくちゃん 削除

[ 鬼嫁とくちゃん2014〔メインブログ〕 ]

けさ すべての記事を読ませていただきました。
 奥さまにたいしての感謝がちゃんと見えていたり
自分より大変なひとへの思いやりが見えていたり

本当に素晴らしい人物だな と感心しました。
とくちゃん 削除

[ 鬼嫁とくちゃん2016~2019☆ ]

2016/1/4(月) 午後 0:58

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CIDP記録No3・苦しい・死にたくない。


          (2004)平成16年1月8日(木)        

「苦しい、まだ死にたくない誰か側に居ってくれな不安になる、ごめんな」つい涙目になっていた看護師さんはつんとおすましの大上さん。
 酸素摂取量が下がってきている(百%|九十七%から九十%へ)のでこの日より酸素マスクをし酸素吸入が始まり、食事もすすまず左鼻から喉を通し胃へチュウブを入れ栄養物を点滴の様に入るようにされていた自分ではいつされたのかあまり記憶が無い。
 昨日あたりからベット向いの真ん中の六十代後半の男性が病気の話や自慢話を大きな声で話したり又、夜遅くまで大きな声で話すのにも苛立ちと腹立たしさでいっぱいだった。
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         (2004)平成16年1月9日(金)

           どこまで進むのか

 だんだんと記憶もはっきりしない、ただ麻痺の方が段々あがってきてお腹の上から胸の方まで上がってきた、「肺や心臓は麻痺して止まらないんですか」と中村先生に聞くとそれは大丈夫だと言われた、何処まで進むのか底は何処に有るのかとにかく不安で不安でしょうがない只それだけ。
 喉にチューブが入っているせいか痰が絡み三十分から一時間おきにナースコールをして吸引をお願いしてもらっていた看護師さんも忙しくてなかなか来てくれない事が有りつい苛立ってしまう、今夜から妻が夜だけ付き添ってくれる事になり、横になる所が狭いので気の毒で可愛そうだ。    

    


CIDP記録No1・発病入院。

書庫『CIDP』闘病記録カテゴリ  その他の病気      34


 (2003)平成15年12月18日(木)


          発  病

 朝起きると足先がしびれる様で膝から下に力が入らない、会社に行く

が車に乗るのは危険なので社内での仕事にしてもらって、二階で座っ

てラベル入れをやらしもらったが階段の上り下りも力が入らず腕の力

だけで精一杯である。

どうしてだろう。



        (2003)平成15年12月19日(金)
           診  察

 朝起きてみるが足首に力が入らず動かない、立って歩くのが困難で

ある。

病院へ行くことにした、妻に天理よろづ相談所病院で診てもらう事で、

病院の玄関まで送ってもらい一人で車椅子で初診受付し、何科か分か

らないので近くにいた看護師さんに聞くと整形外来だと言われたので

エスカレーターの上がったすぐ左のそこにした、血液検査と足の

レントゲンを撮り、問診を受けたが病名は解らず、二十二日にもう

一度来なさいとのことであり一先ず帰った。



        (2003)平成十五年十二月二十二日(月)
          
診 察 ・ 即 入 院


 膝から下に力入らずさよ子に付き添ってもらい憩い病院へ、整形外来

へいったがかるく問診後、神経内科へ行く様に言われS部長の

診察を受ける。

 病名は「ギラン・バレー症候群」初めて聞く病気即入院とのこと、

金は無いし目の前真っ黒呆然となった、先生に「正直のところ金が

無いんです」と言った、まあ何とか成るでしょうと言われともかく

入院する事にした、手続きをしひとまず41病棟の四十一観察室左側

の真ん中のベットに案内された。

 病院の寝間着に着替えベットに横になった不安な日々の始まりで

あった。主治医の先生が来て「Nです私がこれから貴方の担当です」

とおっしゃった大変若いお医者さんであった、末梢神経がやられる

運動神経系の病気らしい、脊髄から髄液を取って検査するからと、

横向きになり二人の看護師さんに押さえられ、手術の時のような

マットを背中に掛け消毒をした上で背中を曲げ腰の上あたりの脊髄近

くにまず麻酔を打ってから注射器で髄液を採取しているらしいズキン

とくる痛みである大変長く感じた、今のところ約一ヶ月の入院予定と

の事、点滴〔ガンマグラマハン(免疫グロブリン製剤=危険性として

感染症・免疫反応・過敏反応)〕を一日一本で五本の点滴をするの事、

後で聞いた事だが三割負担が三十万円掛かったのにはのには驚いた、

トイレは歩く事が無理なので尿瓶にして捨ててもらう事になった。


上野千鶴子氏・平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

ご訪問・コメント有難うございます。


投稿もご無沙汰・リコメも遅れっ放しでごめんなさいね🙇




其々賛否有るようですが私は学生のみならず政治に経営や教育に携わる人々


また各家庭に子育て中の方々も考えるべき事と思います。





平成31年度東京大学学部入学式 祝辞      

上野千鶴子



ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

女子学生の置かれている現実

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

女性学のパイオニアとして

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

変化と多様性に拓かれた大学

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

東京大学で学ぶ価値

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。

平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長

上野千鶴子

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yahooよりお邪魔しに引越して参りました、宜しくお願い致します。
CIDP の闘病記録をまず転載移動させて頂きた後に新規の投稿を始めますので宜しくお願い致します。

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